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カテゴリー「過去の記録」の記事

2021年4月29日 (木曜日)

GW 初日は一日中雨降り

 起床は6時過ぎ。外は雨降り。結構,雨量が多い。色々片付けて,コーヒー啜りつつ,今日は何をしようかなとなでら女房と相談。雨だし,自粛ムードだし,どこにも行けないなぁということに。

 FaceBook の「思い出」なるものを眺めたら,7年前の親父の葬式の際に,色々と片付け物をしていて出てきた写真を FB にアップしたものが出てきた。

G ore

 これである。実家の縁側に座って,赤ん坊の時のなでら男を抱いて座っている祖父の写真。縁側には,当時祖父が丹精していた菊の花。市の品評会などに出品して色々な賞などもらっていた。当時は情報とて少なかったろうに,キノコなどにもめっぽう詳しく,近所の人たちが「これ食えるのか?」とよく持ち込んできていた。祖父も勉強熱心でかなりの凝り性だったのかも知れん(苦笑。

 で,この白黒写真を Photoshop のニューラルフィルターなるものを使ってカラー化してみた。

G ore c

 それがこれ!もうビックリである。菊の葉の緑とか白い菊の花とか祖父となでら男の顔の肌色(そういや,この言葉もなんとか言ってたなぁ)がまあまあの状態にカラー化されている。ちょっと一部おかしいところもあるが,これは凄い。それにしても,..賢そうな赤ん坊だな。(。。)☆\(vv;;)

IMG 6693

 同僚のお母様お手製の「バッケ(フキノトウ)味噌」。今年も頂いた。ありがとうございます。今年もいい風味だ。

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 ちょっとハマった感のある,ウコギの新芽のお浸しの醤油漬けの混ぜ込みご飯。美味い!

 食後,ウダウダと過ごす。外はザーザーぶりの雨。なでら女房が,断捨離的行動を始める。子供達が学生時代に使ったコタツ布団の類や古くなっマットレスなどを捨てたいと。なでら女房によれば,千代田クリーンセンターに今日は持ち込めるとか。なので,車に積んで昼前に出かけた。

 が,着いてみれば,「一般車の持ち込みはできない」との貼り紙が,..。オイオイ,今日は持ち込めるって言ったの,なでら女房だろう〜!この手の徒労が一番嫌いななでら男は一気に不機嫌に,..。

 仕方がないので,どこかで飯でも食ってから帰ろうと,「志づ味」に行ってみる。きっと,混み合っていて入れないだろうと思ったら,..。あれ?空いている。なんで??ちょうど客が全てはけた後に我々が入店。こりゃ,驚いた。

IMG 6695

 久しぶりに中華セットを食す。一時期,スープの味にブレがあって,どうした?と思ったのだが,今日はスッキリした味だった。美味い!ご馳走様でした。

 帰宅したが,車に満杯に積んだマットレスとか布団類を,また下ろすのは流石にウンザリなので,明日昼になでら男が持っていくことにする。昼休み+αくらいの時間で片付けられるだろう。幸い,明日は午後からは特に用事はない。

ーーー

 夕食前にローラー60分,25km。勾配負荷3%,ケイデンス 75 rpm 前後でのんびりと。LBL の続きを観戦。250km で獲得標高差が 4500m ほどになるから大変だ。残り50キロくらいからプロトンから頻繁にアタックが掛かるようになる。日本人の中根選手は残り50キロくらいから遅れだしたようだ。いよいよ一つの勝負所のラ・ルドットの丘の手前で終了。

ーーー

 ゆっくりと風呂に浸かり,ビール飲みつつ読書して,その後夕食。そして安定の寝落ち。雨と自粛の連休初日は,こうして終わった(苦笑。

IMG 6696

 先日買った酒だが,ラベルに「相性の良い料理」なんてものが書いてあった。で,プレーンオムレツとかたらこスパゲティとか,なんだかピンポイントで指定してくる辺り,なかなかジワっと来ている(笑。ここまで限定しなくても良いじゃないの?(笑

2020年12月27日 (日曜日)

【過去記録】2011 宇都宮山岳ブルベ三連戦の三日目(最終日)

BRM718宇都宮200km草津発上毛片道【山岳】[赤城はるな] 完走記

愛称:「THE LAST PASSAGE 踏猿」ブルベ

2011年7月18日 am 5:00 Start ~ pm 5:24 Finish (12 h 24 m)

距離 206km,獲得標高 4385m

Map201108

 2011年7月、前の日に(宇都宮市)福岡から壮大なロマンチック街道に設定された200kmの山岳コースを激走し、疲労感が発生する。群馬県草津町にたどり着いた連続参加者と、新たな単発参加者は、ゴールに向けて200kmの走行に乗り出すが、予想外の急勾配が続き、参加者たちはクローズ時刻に遅れそうになってしまう。(AJ 宇都宮 HP より引用)

キャッチコピー: 「脚攣る人は 筋を伸ばすのかー。」

Brm718 profile

いよいよ最終日

 起床は相も変わらず3時半。バタバタと荷物をまとめたり,ウェアを準備したりして,4時から朝飯。今日も沢山走るので,沢山食べておく。こんなときバイキングは便利だ。身体の疲労感はそれなりだ。階段の昇り降りで感じる太ももの違和感はかなりのもの。さてさて,本日は如何なるのか?今日は,200 ~ 400m くらいから 1200 ~ 1400m への大きめのヒルクライムが3本ある。正直,身体も頭も抜け殻のようなもので,今日は画像がかなり少ない。写真なぞ撮ろうという気にならなかった。

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 5時になると,車検を受けた順番に三々五々スタートして行く。

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三日間連続参加の女性ライダー2名。左のお方は,シュペールグランペールである。その淡々とした走りには完全に脱帽

草津から榛名湖へ

 5時少し過ぎにユースホステル前をスタートした。天狗山レストハウスのところから R292 に出て,渋峠と反対側に降って行く。途中で @eijitom さんと一緒になる。時速 60km ほどでガンガン降れる。先発していた女性ライダー2名に追い付く。話題の八ッ場ダム付近を通過したらしい。平地部分はまだまだ脚は廻るようだが,..。

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八ッ場ダムの辺り?地理に疎いので確信とてないが,..多分違うな。w

 長閑な早朝の田舎町を駆け抜け,やがて最初の登りの榛名山への登り口に到着。ここまでは平均 30km 以上。というか,それくらいのペースで走っていないと,結果的に PC2 の赤城山でタイムアウトになったかも知れない。登りに入って,@eijitom さんとの連結解除。後はお互いにマイペース走行。@eijitom さんの後ろ姿が次第次第に小さくなる,...(笑)。

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榛名山 12km の表示。長いなぁ,...

 勾配は 6~7% くらいかな。きつくはないが,景色が良い訳でもないし,単調でツマラナイ登りだった。そして,ひたすら長い。で,早朝だというのに,珍走団が走りまくってやがる。本当に鬱陶しい連中だ。やれやれ,...

 もう,頭の中を白くしてひたすらペダルを踏み降ろす。しかし,パフォーマンスの低下は相当なもので,7%程度の登りでも,直ぐに 25T とか,27T にチェーンが掛かってしまう。スピードは当然良くても 10km/h 程度で,多くの場合,それ以下。ピークを越えて,しばらく降ると,やがて榛名湖に到着。

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 釣り目的のキャンパーが多数。もう,釣りを始めている人達もいた。楽しそうだ(笑)。オレは今の状況を楽しんでいるのか?などと自問自答する一時。答えは,...ゴールしてから決めよう(笑)。

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榛名富士と榛名湖(am 7:29)

 なんか細い道を通って県道33に出る。そこから少し登ったように思うけど,後は降る一方。しかも,かなりのスピードで降れる道だった。PC1 の手前で展望台があったので停車してみる。

P1080242

 朝靄の中に浮かぶ山々が幻想的な雰囲気を醸し出している。快適に降って,PC1 のファミリーマート伊香保店に到着(am 8:01)。リポビタンDなどを飲んでみるが,多分効果はなし(笑)。この後もひたすら降る。結局,標高差で 1000m を降ることになる。もっとも,また登り返すんだけどね(苦笑)。

PC1 から赤城山の PC2 へ ~ もう画像なんて撮る余裕ないぜ ~

 ドンドン降って行くと,前走者が見えてきた。R353 の大正橋のところで,@mino16 さんに追い付く。マシンは,細身の(多分)クロモリにダブルレバーという渋さ。登りは @mino16 さんが一枚も二枚も速いので,ここから先は次第に離れて行くことになるけれども,..。それにしても,この辺りから赤城山の登りの県道 4 に入るまで,地味な登りが続いて,それなりに堪えた。細々した分岐が多く,コースファインディングに神経を使った区間である。「空っ風街道」とか,洒落た名前が付いているが,要するに広域農道だろ!なんて一人ゴチながらコマ図に従って淡々と距離を稼いで行く。

 やがて,県道4に入り,赤城山への本格的な登りが始まる。このコースは今度開催される赤城山のヒルクライムのコースらしく,地元や近隣の愛好者達が沢山登っていたようだ。登り終えたサイクリスト達が次々に降りてくる。何十台というロードレーサーとすれ違った。 

 で,この頃からなにか頭がボーッとして眠くなってきた。今から思えば,軽いハンガーノック症状だったように思うが。道端をザーザーと勢い良く流れる水路の水が冷たそうで,停まって,水を被りたい衝動に駆られる。「眠いなぁ,その辺で転がって少し寝て行こうかな」なんて考えながらタラタラ登っていると女性ライダーにパスされた。「頑張りましょう!」という声と共に。こちらはテンションが上がらずに,えらく頑張っているなぁなどと思っただけで,何ということもなくお見送り。やがて,K 関君にも抜かれた。必死になって登っている。なんか,みんなえらく頑張っているなぁなんて思っているところに,もう一方の女性ライダーが追い付いてきて「ガンバリマショウ。まだ間に合いますよ」と声を掛けられた。

 え?まだ間に合う?一体なんのこと?と思いつつ,目の前のコマ図に目をやると,『PC2 赤城山総合観光案内所 [07:41 ~ 11:04]』 の文字が飛び込んできた。時計に目をやると,現在 10時ちょっと過ぎ。残りの距離はまだ 10km ほどある。残り1時間弱で 10km だと!?

 勾配は 8~9% が続き,先ほどからスピードは良くて 10km/h ほど。まずい,まずすぎる,..。ここまで来てタイムアウトは洒落にならんぞ。ここでようやく事態を把握し,先行する女性ライダーを追い始めた。昨日の渋峠に続いて,今日もまたクローズタイムとの追いかけっこかよぉ~・・と頭の中ではブツブツとつぶやきながら,..。

 実は,昨日辺りから疲労で心拍が上がらなくなってきている。どんなに追い込んでも 150bpm をなかなか越えてくれない。まあ,心拍が上がらなくても走れているから良いのだろうが。今回ばかりは8%の斜面では一桁スピードでもいいとか悠長なことは言ってられない。もう,ゼーゼー言いつつ踏みまくる。心拍よ,上がれ!と念じつつ。やがて,先行していた女性ライダーをパスし,さらに前方の女性ライダーもパス。さらに先行する K 関君との差を詰めて行く。

 残り3キロほどになって少し勾配が緩くなり,ようやく時間内に PC2 に到着できる確信が持てた。結局,K 関君から少し遅れて,クローズ20分ほど前に PC2 に到着。トイレの水道で水を被り,水を飲み,ホッと一息入れた。いや~,やばかった。手持ちの補給食を食べてからスタート。ここまで来れば完走はほぼ確定(だと思う)。

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赤城山の PC2 の駐車場(am 10:40 辺り)

赤城山からの凶悪な降り,灼熱の R122を経て PC3 へ

 PC2 を出て,少し降って,再び小沼まで登る。そこから10km 以上の下りが始まる。この下りが凶悪だった。道幅が狭い,急勾配(15% くらいある箇所があったような?),対向車が頻繁に登ってくる,路面が荒れているなどなど,..。

 なにしろ,200km のブルベであっても三日目ともなると,尻もある程度痛いわ,掌も痛いわで,自転車と接触している部分は全て痛くなってきている。急勾配の九十九折りで,下ハンを持っているので,路面のちょっとした凹凸の度に掌が痛む。

 そして,道の上に落ちている物凄い数の毛虫,..。緑色の7~8cmあるでかい毛虫がやたらと落ちているのである。山形辺りではあまりお目に掛からない種類だが,なんの幼虫なのか? こんなのをタイヤで踏みつぶしたら,滑って落車するかも知れないので,踏まないように慎重に避けて走った。なので,降りなのにスピードは全く上がらない。折角の降りで時間貯金が増やせないので大分イライラした。

 ようやく降り切って,空っ風街道やら,R336,県道333 を経て R122 に出る。R122 は一昨年も走った道で,あの時も暑さに苦しめられた。日陰が全くない道であり,しかもアップダウンの連続だ。途中でコーラ休憩一回,さらに一昨年も休憩を取った湧水公園のようなところで休憩一回。水を被って一息吐く。

 草木ダムを過ぎて,30km ほどに及ぶ長かった R122 の走行にようやく別れを告げて,県道142 に入った。しばらく走ると PC3 のヤマザキショップくらさわに到着(pm 2:15)。ここで,コーラとパンとポカリスウェットを補給。少し遅れて K 関君,ふぃりっぷさん到着。入れ違いにちゃりけん氏スタート。本日はメカトラで DNS の TTM さんがスタッフ業務をされていた。

最後の粕尾峠を越えていよいよゴールへ

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粕尾峠の案内板

 いよいよ最後の登りだ。もう,大分ペースを落としても完走は大丈夫だろうと思えたので,周囲を眺めつつ完全にポタリングペースで進む。が,この峠が意外に楽で驚く。傾斜は緩く,楽に登って行ける。流石の AJ 宇都宮のスタッフもここまで来た参加者にご褒美として最後の最後に緩い峠を設定してくれたんだろうか?なんてことを思いながらのんびりと走っていると,後ろから K 関君が追い付いてきた。開口一番「登り易いっすね!」と。「まあ,宇都宮のスタッフも鬼ばかりじゃなかったということかねぇ。でも,もしかして,この峠,最後に物凄い勾配になって,滝ケ原みたいになったりしないだろうねぇ,..」なんて返事したのだった,..。#結論としては,宇都宮のスタッフは,やはり鬼だった(笑)

 そして,そんな戯言は現実になる。県道15から県道58に入った途端に始まった急勾配。Garmin の表示は 9, 10, 11% とドンドン上がる。「ったく,やっぱり,こういう落ちかよっ!」と毒突きながら 34 x 27T を踏む。ピーク手前では,11% 勾配の連打&乱れ撃ち状態。ようやくピークを越えて,ああ,終ったと思ったのだが,小さな登り返しが一ヶ所あった。古峰ヶ原高原と,ツーリングマップルには記載してあった。

 あとはひたすら降る。快適なダウンヒル。やがて,巨大な鳥居が見えてきた。古峰神社の鳥居らしい。

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古峰神社の巨大鳥居

 川を渡るときに,橋から川に飛び込んでいる少年たちを見つけて,しばらく眺めていた。水の奇麗な川で水遊びをして,河辺ではバーベキューを愉しむ人達。ああ,いいなぁ,川で泳いでビールが呑みてぇ~~と痛烈に思った。

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こんな川が身近にあるってことは素晴らしいことだと思う。地図によれば大芦川なのかな?

 さてここから日光に抜けるのに,また一つ小さな丘越えがあった。やはり,そこは宇都宮ブルベ,最後の最後まで楽しませてくれる。しばらく走っていると,昨日走った滝ケ原峠へのアプローチに出た。あとは,平地を流してゴールするだけだ。

 今日は朝飯以外では,固形物はおにぎり1個とパン1個しか口にしておらず,他は全てコーラで賄っていたせいか,ここに来て猛烈な空腹感を感じていたが,店もないところなのでどうしようかと思いつつ走行。とある分岐でふぃりっぷさんが道端に腰を下ろして補給していた。こちらもその先の自販機でコーラ休憩。最後のエネルギーを注入。

 昨年も一昨年も走った道を辿り,ようやくゴールのニューサンピア栃木に到着。いつもの「馬上過ぐ」の壁の前に自転車を置いて,ゴール受付の「金精の間」に向う。午後5時24分。これで三日連続の完走である。今年最大の目標にしてきたイベントが終った。

 部屋で他の参加者らと四方山話に花を咲かせつつ,pokky 氏を待つ。鹿島辺りで pokky 氏からもらった電話では,途中で DNF して,自走で宇都宮に戻ったとのこと。それならばと,申し訳ないことながら,森林公園からニューサンピア栃木まで車の移動をお願いした。二度も車の移動をお願いして,まったくもって申し訳ない。この埋め合わせはいつかきっと,..。<(_ _)>

 pokky 氏,@eijitom さん,HEIZOSUN,mino16 さんなどと一緒に一風呂浴びてイベント終了。

 その後,HEIZOSUN を森林公園にお送りして,そこでお別れした。帰りはもうどうにも眠くて仕方なかったので,途中で pokky 氏に運転を代わってもらった。いつも,ありがとうございます。来たときのように,日光,南会津,喜多方を通って,午前1時前に帰宅。帰宅後,軽く補給して就寝。自転車漬けの三日間が終った。ステージレースに参加したかのような充実し切った三日間だった。#翌日から3日間ほど,脚,特にふくらはぎの猛烈な「浮腫み」に悩まされた。

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噂のディスクホイールマシン。ブルベというよりも,TT マシンのような精悍さ。オーラが漂うかのようだ。

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ニューサンピア栃木にゴール,..終った

Finish

踏猿達のパートナーたち(撮影:mino16 さん)

最後に

 今回の山岳三連戦,自分がプロデュースすることを考えたら,必要な運営作業を頭の中でイメージしただけでゲンナリしてしまいます。これだけのイベントを少人数で企画,準備,運営して頂いた AJ 宇都宮のスタッフの皆さまに心より感謝いたします。大変,楽しゅうございました。そして,参加された皆さま,特に Twitter のブルベクラスタの皆さま,本当にありがとうございました。ステージレースあるいは合宿のような雰囲気の三日間でした。この三連戦の完走が今年一番の目標でした。そのために,今年は自転車に乗ってきたと言ってもいいくらいです。過酷な山岳ブルベに嵌まりそうな自分を意識してます。でも,ママチャリで参加しようとは思いませんが(笑)。(大変でしょうけど)また,来年もよろしくお願いいたします。

初日に戻る   二日目に戻る

FIN

【過去記録】2011 宇都宮山岳ブルベ三連戦の二日目

BRM717宇都宮200kmロマンチック片道【山岳】[3 to 1] 完走記

愛称:「踏猿 LIMIT OF POWER」ブルベ

2011年7月17日 am 5:00 Start ~ pm 6:06 Finish (13 h 6 m)

距離 203km,獲得標高 5310m

Map201107

金精峠を突破、そして渋峠!ランドヌールたちが初めて感じる限界と極限
 塩原山岳をクリアした連続参加者は、宇都宮・森林公園で新たな参加者たちとスタートラインについていたが、スタート後30kmから平均勾配11%の滝ヶ原峠の洗礼を受ける。ここで疲労をため込めば金精峠での大失速は免れないが、その先には、国道の最標高地点である渋峠が待ち受けていた。(AJ宇都宮 HP より引用)


キャッチコピー: 「脚が攣り 進めない。」

※ ブルベのタイトルにある [3 to 1] は,国道第3位の標高の金精峠から,国道第1位の標高の渋峠を目指すことの意味らしい。ちなみに,第2位は麦草峠。

Brm717 profile

二日目の朝

 起床は3時半。睡眠時間は4時間ほど。正直眠い。脚にはそれなりのダメージ。今日のコースのプロフィールマップを観て,今日の天気予報などを聞いて,完走できるものかどうか少々不安になる。それにしても,群馬県の沼田辺りは34℃くらいまで上がるとか,..。

 昨夜買っておいた朝飯をモソモソと食らう。5時スタート予定なので,時間的な余裕はほとんどなし。なんだかんだとバタバタと準備して,4時半頃には森林公園着。参加者の多くは,昨夜は森林公園に車を停めてあったので,ろまんちっく村からスタートして,鶴カントリーの激坂を朝から自走。でも,その方がアップになってよかったかも知れないなぁ。

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 今日と明日参戦のへばなさん登場。今回はシングルギヤのママチャリはやめて6段変速のマウンテンバイク(?)だとか。今日から参加の方々は,6時スタートなのかな?我々の方は,ブリーフィングは昨夜,既に受けているので,ブルベカードに必要事項を記入したら,車検を受けて,5時になったらスタート。少しスタートでもたつき,5分ほど遅れてスタート。

古賀志林道を越えて,県道70へ

 古賀志林道を登り始めると,前方から pokky 氏が戻ってきた。「どうしたの?」と訊ねると,忘れ物をしたとのこと。後で訊けば,宿に忘れ物をしたので,6時スタートに切り替えてもらったとか。

 今日はスタートから完全に一人旅。が,しかし,この方が今日のコースの場合には好都合だ。下手に誰かと走ろうものなら,ペースを乱してロクなことにならない。なるべく,脚を温存しつつ,タイムアウトにならないだろうと思われるペースを心掛ける。

 古賀志林道にはジャパンカップの痕跡である路面への応援メッセージ多数。しかし,この勾配をあの猛烈なスピードで駆け上がるプロの連中って,..。そんなことを考えながらピーク到着。

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 林道を下って,県道70に出る。ここから先の金精峠までは既に3回目だ。ここからは,滝ケ原峠,いろは坂,金精峠までの登りと基本的に 60km 以上登り基調の道が続く。そして,次の滝ケ原峠の勾配を考えると少々憂鬱になる。じっくりと己の身体の内なる声に耳を傾けつつ,ペースを作る。が,それほど調子は悪くないようだ。ダラダラ登りの区間は結構踏んで行ける。

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 何が撮りたかったのか,今となっては全くわからない画像である(苦笑)。多分,天気がいいぜ~~とか,今日も独りぼっちのサイクリングだぜ~~とか,これからいよいよ滝ケ原だぜ~~~とか,そんなしょうもない気持ちだったに違いなかろうが,..。

いよいよ滝ケ原峠へ

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 気持ちのいい山道を走って行けば,いよいよ始まる滝ケ原峠の核心部分。平均勾配11%が2キロほど続く凶悪区間。あとのことを考えて,この区間だけは速度は無視。垂直方向速度はかろうじて 10m/min くらいを維持(する気持ち)。見栄も外聞もなく,ギヤは 34x27T をチョイス。速度は最大勾配箇所(18% ほど?)では,5km/h まで落込む。しかし,ガンバラナ~~イ! そんなこんなで,極力,省エネモードで走ったせいか,これまで3回のうちで一番楽に登れたかも。峠間近ではかなりゼーゼーしていたのだが,それでも,脚へのダメージは最小限で抑えることが出来た。時間がもったいないので直ぐに降り始める。どうせ,峠からは何も見えないし。

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滝ケ原峠を少し下ったところのビューポイントにて(am 6:52)

 ちょっと降ったところにある絶景ポイントには二人の先行者がいた。一応,方角も何もわからずに写真を撮って直ぐにスタート。何という山なのか?女峰山とか帝釈山とか 2000m オーバーの山が地図に乗っていたけど,その方向なのかな?

 ここの降りは,ところどころに砂の浮いている箇所があるし,急勾配だし,道は狭いし,距離も短いので,時間貯金稼ぎにはほとんど役に立たない。

 清滝の辺りで前方に @eijitom さんを発見。同じようなペースで走り続ける女性参加者も自販機で補給中だった。R120 に入って,次のいろは坂へ。

いろは坂から中禅寺湖へ

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登り口の橋の上から右手方向を望む(am 7:22)

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 四十八回のターン(そんなにあったかなぁ?)を,いろは四十八文字になぞらえて名付けられたという「いろは坂」。勾配は 4~5% くらいだろう。10km/h 前後で淡々と登っていると,後ろから「お疲れさま」の声と共にパスされた。yama さんだった。都合が悪く参加できなかったので,今日はいろは坂で山岳ブルベの応援とか。ありがとうございます。

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途中,黒髪平で一休みというか,写真撮影

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ここは標高 1173m

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 明智平に yama さんがいた。応援ありがとうございました。中禅寺湖に到着。それにしても,いい天気だ。ここで標高 1200m オーバーなので,比較的涼しい。まだ,朝早い時間なので観光客もまばら。

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中禅寺湖(am 8:09)

 (自転車で)3回訪れたうちで,今回が一番天気がいい。しばらく進むと,食事処の脇に見覚えのある自転車が立て掛けてあった。HEIZOSUN が補給中らしい。昨夜折角買った朝飯を宿に忘れてきたとかで,オレの補給食のカレーパンを提供したんだが,カレーパン1つでは持つ訳もなく,..(苦笑)。

 高原の爽やかな空気を愉しみながら走っていると,ディスクホイールを付けた方に,エライ勢いで抜かれた。1時間後に出たらしいが,もう,この時点で追い抜かれるってのは,オレが遅いというよりも向こうが速過ぎると言った方がいいよな(驚)。後で聞けば,昨年,神奈川の自宅から北海道まで自走して,北海道 1200km のコースを完走して,また神奈川の自宅まで自走で戻ったという「伝説」の方だったらしい。今日のコースは平坦基調だと聞いたので,ディスク履いてきたって,.。orz 脚が長く,膝も高い,奇麗なフォームは見ていて羨ましい限り。#後でズッチャさんだと知った。

戦場ケ原から金精峠へ

 戦場ケ原の最初の土産物屋(茶店?)の自販機のところに @eijitom さんがいたので,コーラでも飲もうかと釣られ停車。店の中を覗くと,なにやら食事できそうだった。朝飯の量が少なかったので,もう既に腹が減ってきている。この時点で,一昨年よりも時間的に早かったので,えらく余裕があるように錯覚し,ここで店に入り込み,椅子に座って,のんびりとカレーなどを食す。こういうことはあまりしたことがなかったのだが,なぜかこのときは,今日も(多分,きっと)楽勝だぜ!みたいな気分になっていた。後で,この休憩をえらく後悔することになるとは,このときは少しも思わなかった。

 食事しながら,外を眺めていると,あら,K関君が,..あ,あの女性ライダーが,..という具合に,皆さん先を急ぐ。食い終えて,水を貰って,店のオネイサンとちょいと世間話をしてからスタート。休憩時間は 20分くらいかな?もう少し短いかも。

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戦場ケ原では,歩道を歩くかなりの数のハイカーらしき人達

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 湖の中に立ち込んで,フライフィッシングをしていたので,ちょっとの間眺める。ゲームはヒメマスか?また,ロスタイムだ(笑)。

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 ようやく,K 関君に追いつく。後ろからしばらく眺めていたのだが,よくこんなに長時間ダンシングが続くなと思うほどに,ダンシングで登り続ける。平ペダルなので,恐らくは,体重だけで踏み降ろしているために持続するのだろうと思うのだが。言い換えれば,補助運動器具のステッパーのようなものを延々と続けているということになるのかな?

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 この辺りで,エネルギー補給の済んだ HEIZOSUN にパスされる。今日は,HEIZOSUN を始め,数人がキャメルバックを背負い,その中に氷を詰めて,ラジエーター代わりに使っているらしい。なるほど,いろいろと真夏に走る工夫があるものだ。次回の参考にさせて頂こう。

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 金精峠へのルート恒例の,登ってきた道を振り返るの図。思えば,高所に来たもんだぁ~~・・。右手のは中禅寺湖かな?

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 そんなことをしていると,ママチャリダンシングマスターに追い付かれる。それにしてもタフだ。

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金精峠のシークレット PC(am 9:36)

 金精トンネルに着いてみれば,そこはシークレット PC だった。AJ 宇都宮の Su藤さんが担当。標高表示のところは車が並んでいて,撮影は諦める。スタッフの方から,コーラを2杯ご馳走になる。ご馳走さまでした。お疲れさまです。

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トンネルが出来る前の旧道とかって有るんだろうか?

金精峠から PC1 へ

 ここからはひたすら降る。ここの荒れた路面の降りで,コマ図台のボルトが緩んで,次第に回転し出した。途中でストップして携帯工具で直そうとしたのだが,なぜか携帯工具の 4mm のアーレンがボルトの六角形の穴に入らない。5mm や 6mm のアーレンは,それ用のボルトの穴にきちんと掛ってくれるのに,4mm だけが僅かに太いらしく,4mm のボルトの穴に入ってくれない。仕方がないので,ハンドタイトで出来るだけ捩じ込んで,あとは PC1 で誰かに工具を借りて直すことにする。

 降るに従って,気温が上がってくるのがわかる。日本ロマンチック街道である。道端では,焼きトウモロコシや焼いたイワナとかヤマメなどを売っており,何もないツーリングなら,当然ストップ&休憩するところではあるが,今日は最後に大物が残っているので,時間のロスは出来るだけ避けたい。#と言いつつ,それなりにロスを積み上げてはいるのだが。

 PC1 のセブンイレブン片品須賀川店に着いた頃(am 10:35)には,灼熱の太陽が頭上から容赦なく照り付けていた。ちょっとゲンナリするほど暑い。そして,ここから先の画像が極端に少なくなる。あまり意識してはいなかったが,暑さでかなり参っていたようだ。PC1 で補給すると共に,HEIZOSUN にアーレンキーを借りて,ボルトの増し締めをする。この後,何度も同じことを繰り返すことになる。こういうのは,長い距離の場合,それなりにストレスになる。

灼熱地獄の沼田付近と権現峠

 PC1 を出てからは,強烈な日差しと30℃を超える気温と,繰り返されるアップダウンによって,次第に体力が削られていく。そのうち思考力すら怪しくなってくる。コマ図を眺めながら走っていて,見ているコマ図は直進指示なのに,その前のコマ図の右折矢印を重ねてしまって,右に曲がってしまったりした。暑さで頭が少々ボーッとしている。どこかで水でも被って冷却したいが,そんな場所もない。とにかく,沼田の辺りが地獄のような暑さ。ここらで TTM さんにパスされた。その猛烈なスピードにちょいとだけ付いたものの,自殺行為は止めておこうと早々とお見送り。

 この辺りで,ちゃりけん氏,K関君などと集団になって,権現権平峠にかかる(ずっと,ゴンベイだとばかり,..w)。標高 300m ほどの一番低いところから標高 700m 弱まで登る峠。脚が残っているときなら,そしてもう少し気温が低いときなら,何ということもない峠だろうが,暑さと疲労が,この峠を超級の難所に変えた。

 とにかく暑い。ボトルの水を首筋に掛けようにも,生暖かい「ぬるま湯」しか出て来ない。勾配は最大でも7~8%ほどだろうか。多くは5%くらい?決して急坂という訳ではないが,一緒に登っている人達も次第に無口になってくる。聞えるのは,深い溜息と,荒い息遣い,そして「暑い・・」というつぶやき。そして,何気に長い,..。プロフィールマップを眺めながら,あと1キロくらいかなと思った辺りだったか,..。

 道端の日陰になにやら妙に元気のいいサイクリストがいた。「塩キャラメル如何ですか?ジュース要りませんか?頑張って下さい!!」と,我々の少し前を走る参加者に盛んに声を掛けている。なんか聞き覚えのある声だなぁと思いながら登っていった。そして,「塩キャラメル要りませんか?ネクター飲みませんか?」とでかい声を上げて近づいてきたのは,...「昔の人Oさん」だった。別に伏せ字にする必要もなかろう。いわきで被災して,現在群馬に避難しているとかいう噂のオカザキ氏だった。思わず,「イラねぇ~よ,ここで何してるんだよ?」とでかい声で応えてしまった(笑)。「え?ナデラさん?ちゃりけんさん?なんで,ここにいるの?」,...。なんか,疲れがいくぶん増したような感じだった(苦笑)。

 なんでも,ロックハート城になにかの用事だかで来たとか。一緒に走り出して,あれは要らないか,これはどうかと勧められるが,暑いわ,バテバテだわで,次第に返事をするのも億劫になる(ゴメンね)。こちらはとにかく登り切って,この灼熱地獄を抜け出したい一心だった。懐かしかった出会いは,ピークでお別れ。また,どこかで会おう!

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権現峠のピークにて(矢印がオカザキ氏,走っているのは女性の方,電光掲示板は 31℃)pm 0:39

権現峠から PC2 へ,そして暮坂峠へ

 降り始めたが,熱風の中を走っているようで,涼しさは今一つ。ジャージのファスナーはほぼ全開。降り切った辺りの電光掲示板の表示は35℃だったらしい。ようやく,PC2 のセーブオン中之条平店に着いた頃(pm 1:06)には,暑さでかなりへばっていた。ここで,HEIZOSUN とか TTM さんとか,eijitom さんと合流。それと女性の方もいた。

 買い物カゴを持って店内を歩くのだが,何をしていいのかわからず,商品棚の前でボーッとする始末。eijitom さんと,「このペースだとゴールでタイムアウトの可能性もありますね。かなりやばいです」と情けない会話。固形物を摂りたくなかったが,なんとかおにぎり一個を水で流し込む。他にはゼリーのようなものしか受け付けない。2リットルの水をガボガボ飲んで,ボトルに詰めて,残りを頭に掛けてスタート。スタートする辺りで,ふぃりっぷさんが PC2 に入ってきた。1時間遅く6時にスタートしたはず。速い。

 5時スタートだから,渋峠ホテルでのゴールリミットは午後6時半。残り時間は5時間弱。PC2 が 140km 過ぎの辺りで,残り60kmほどある。この先には,標高 1000m オーバーの暮坂峠,標高2100mオーバーの渋峠が待ちかまえる。単純に標高差が 1800m で距離は 60km だから,平均勾配は3%ではあるのだが,降った後の登り返しもあるので,もう少し急になるだろう。全てひっくるめて,今の脚で平均時速12kmで行けるのか?

 それにしても,群馬は体育会系珍走団が多い。峠という峠には必ずいて,喧しい排気音を上げて走り回る。あまりの喧しさに,「○ねばいいのに!」と呪詛の言葉をつぶやきつつ登る。水が心細くなってきたし,補給食の手持ちもないなぁと思いつつ,灼熱の峠の登りに掛かった辺りだったかなぁ,..。なんか,位置関係が今一つ判然としないけど,道端にパイプからこんこんと湧き出している水を発見。嬉しさの余り,当然,ストップ。水を被る,顔やら腕を洗う,脚に掛ける,飲む,..と散々水遊びをしてリフレッシュ!

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暮坂峠の登り口にあった「命の水」。多くの参加者にとって,まさにオアシスだったはず(pm 2:32)

 残り4時間弱しかない。急がないといけない。スタートするときに,ふぃりっぷさんが登ってきた。「冷たい?」と聞くので,「結構冷たいですよ」。

 それからも暮坂峠をセッセと登る。結構長い。暑い。珍走団が喧しい。「クソッタレが!喧しい奴らだ!!消えてしまえ!!」とつぶやくと,いきなり,「あれの,何が面白いんですかね?」と後方から聞えて面食らう。ふぃりっぷさんだった。忍者の如く,直ぐ後ろにいた(笑)。羨ましいスタミナだな。

 ふぃりっぷさんにパスされた後,どうにも我慢できずに道端にへたり込んだ。少々,クラクラする。数分間,日陰で水など飲みつつ,息を整える。「暮坂峠かぁ,まったく,越える前に暮れちまうぜ!」とかブツブツ言いながら。決して急勾配という訳ではないんだが,.。この辺りが,DNF の魔物に最接近されたときだったかも知れない。

 「人間辛抱だ!」と,なんとかかんとか暮坂峠のピークに到着。標高 800m を越えた辺りから少し涼しくなり,楽になった。峠の茶屋のようなところでは,ふぃりっぷさんがソフトクリームを食っていた(と思う)。余裕だ。向こうは1時間遅れでスタートしているので,完走は余裕だが,こちらに時間的な余裕はまったくない。軽く挨拶して,そのまま六合までの降りに入る。この下りが無駄だよなぁ(苦笑)。300m ほども降るんだよ。

草津から最後の渋峠へ

 草津への登りに入る辺りでまたふぃりっぷさんに追い付かれる。ここから先は,完走のために,緩斜面では出来るだけスピード上げて,平均スピードを上げるような走り方を心掛ける。目標として,前を行くふぃりっぷさんに必死について行く(といっても,結構距離を空けてだけど)。少々オーバースピード気味かとも思われたが,走ってみるとなんとかギリギリで付いて行けるペース。スピードは 15km/h 前後。ここで,ペースを作れて,そのペースを維持したまま渋峠への登りに入れたのが,完走の一番の要因だったと,走り終えてから思った次第。ブルベでは,常に一人でマイペースで走っていて,こういう走り方(前走者に付いて行く)はほとんどしないが,今回ばかりは精神的に牽いてもらってお世話になった。ふぃりっぷさんに感謝します。

 途中,道端に,HEIZOSUN と TTM さんが,..。なにやら,チェーンカッターでチェーンを繋いでいる。落車トラブルとか。先を急ぐので,そのまま失礼した。

 草津の温泉街を過ぎて,いよいよ渋峠への登りに掛かる。が,軽い空腹感があって(あるいは,エネルギーのスカスカ感とでも言おうか),このままでは残り 20km ほどを走れるのかどうか少々怪しい。経験上,こういう場合はガクッと急激に来ることがある。そこで,時間もないのだが,R292 に出る天狗山レストハウス(ツール・ド・草津のスタート地点らしい)の自販機でコーラを一本だけ補給。同じ場所でふぃりっぷさんもコーラ補給。この時点で,残り距離は 20km ほどで,残り時間は2時間弱。10% 勾配が頻繁に出てくるようならかなりヤバイ状況だが,幸い 5% ほどの登りが多いようなので,多分大丈夫だろうと少しだけ楽観。もっとも,何が起こるのかわからないでの,緩斜面では出来るだけスピードを上げて走ることにする。

 メーター読みで,10~14km/h ほどの数値が出ている時間を出来るだけ多くする作戦。で,時折現れる8%くらいの勾配では,一桁に落ちても気にしない。むしろ,一桁に落として走る。そしてセーブしたエネルギーを緩斜面で吐き出すということを繰り返す。こうして走り続けて,登坂開始後1時間くらいで残りの距離とペースで判断してクローズ30分前くらいにはゴールできそうに思えたのでホッとする。

 上からは次々とサイクリストが降りてくる。反射材を身に付けていないので,ブルベの参加者ではなくて,一般サイクリストのようだ。皆,国道最高標高に登った人達だ。きっと彼らも「踏猿」の仲間だろう(笑)。

 午後5時頃には,空が曇って,時折雷鳴が轟いた。標高 2000m 近くで雷雨ってのは洒落にならんなぁ,頼むからこっちには来るなよと祈りつつ走行。幸い,群馬側に暗雲が掛ることはなく,雷鳴は長野側だったのか?

 森林限界を超えると景色が変わる。硫化水素の吹き出す「殺生河原」脇を通る。道の脇には「立ち止まるな」の看板。磐梯吾妻スカイラインで慣れているので,どうということもない。たしかに,そこそこ臭うけどね。

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硫黄が岩肌に付いて,所々黄色になっている

 やがて,ピークを越えて一旦降って,県道466との分岐を通過。志賀高原に向って登る。この道が国道の最高標高と渋峠ホテル前を通るらしい。この分岐から先がハンガーノック気味でかなり辛かった。やはり,小さなコーラ一本では全然足りなかった。途中,2回ほど脱力感で足を着いたが,膝がガクガクして全身に力が入らない。ジャージのポケットには塩飴しか入っておらず,仕方ないので2つほど口に放り込み,一気に噛み砕いてみたが,状況はすぐには変わらず。こんなときコーラがあれば15分もあれば状況が改善するんだが,.。ヤケクソ気味に,「誰か,コーラをくれ!」と,標高2000m オーバーの道端で叫んでみたりした(笑)。この区間で大分失速。

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しばらく登って,県道466との分岐を望む。ここでは脚がガクガク状態

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とうとう辿り着いた,日本国道最高地点 標高2172m(pm 6:02)

 ようやく辿り着いた日本国道最高地点。標高は 2172m なり。妙な達成感を感じた一時。そして,道標の前で記念撮影。どうせ降るときにも,ここを通るんだから,撮影はそのときでもいいようなものだが,時間も少々余っていたので,最初の訪問記念ということで,いそいそと撮影。今更,数分早くゴールしても仕方あるまい。

 ここから少し降って,ちょっとだけ登ったところにゴール地点の渋峠ホテルはあった(と思う。記憶があやふや)。

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なるほど珍百景,半分が群馬で,半分が長野の渋峠ホテル(pm 6:11)

 そして,嬉しいゴール。所要時間 13時間6分。残り24分だった。この時ばかりは,「よく頑張った,オレ!!」と自分を褒めたい気分だった(笑)。やっぱり,時間内にゴールできたポイントは,ふぃりっぷさんに牽かれるようにして,身体に擦り込んだ登りのペースだったように思う。

 ゴールして,最初に口にした言葉は「すいません。どなたか,食べ物恵んで下さい!」だった。なんとも,情けない。ハンガーノックでちょいと正常から逸脱した状態。S木さんがゴールタイムのチェックをしてくれている間に,渋峠ホテルのカウンターで最高地点到達証明を買おうと思っていたのに,なぜか,ゴールしたときには,「ああ,もう,ホテルの営業も終了したのか。もう,午後6時過ぎだもんな,..」(意味不明,完全に狂っておる)なんて考えてホテルの中に入ることもしなかった。しかも,スタッフの方から頂いたお菓子をむさぼり食って「うめぇ~・・・」とつぶやいたきり,ちゃんとしたお礼も言ってない。まさに,幼児のような有り様。さらにさらに,先にゴールしていた K 関君から,「コーラ,余ってない?」と一本せしめて,一気飲みまでする始末。まさに,餓鬼である(苦笑)。あの場にいらっしゃった皆さまに,浅ましい姿をお見せしたこと,深く反省し,お詫び申し上げます。<(_ _)>

 しばらくしたら,血糖値が上がってきたのか,少し落ち着いてきた。落ち着いたら寒くなってきた。さて,ガスも出てきたことだし,余り遅くならないうちにとっとと降ることにしよう。簡易雨具を羽織って,草津の宿まで下山開始。

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生きながらにして伝説となった「K関氏@ママチャリダンシングマスター」(pm 6:23)

 ちゃりけん氏と一緒に下る。流石に寒い。気温は 17℃ほど。途中,まだまだ登坂を続ける参加者とすれ違う。午前6時スタートの参加者のゴールリミットは午後7時半。もう,残り1時間もない。大分降った辺りで擦れ違った参加者。ゴールまでの距離と残り時間を考えると,とても完走できそうもない。悔しいだろうなぁなどとぼんやりと思う。が,その悔しさもまた,山岳ブルベの醍醐味なり。その悔しさを払拭するために,来年も春先からセッセと登坂をくり返し,真夏の「踏猿達の祭り」にエントリーするのだ。大いなるリベンジを期する踏猿達に幸あれ!!

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今夜の寝床の草津高原ユースホステルに到着(pm 7:06)

 今夜の宿舎である草津高原ユースホステルに到着。ところで,降ってくる途中で pokky 氏を見掛けなかった。どうしたんだろう?まさか DNF?彼に限って,そりゃないだろう,何かのメカトラブルかな?などと考えつつ宿舎に着いてみると,入り口に彼のバイクが,..。中で本人に話を聞いてみると,渋峠の登坂途中でタイムオーバーになると考えて DNF したとのこと。金精峠から沼田の辺りに時間が掛かり過ぎた(掛け過ぎた?)らしい。暑さもあって,意図的にかなりペースを落としたとか。それでも,どうせ間に合うだろうと思っていたとのこと。コース状況,暑さなどの要因で,想定外の状況に陥る可能性もある真夏の山岳ブルベ。やはり,稼げるときには時間貯金を稼いでおくべきとの思いを強くした。

 AJ 宇都宮のスタッフの方に運んで頂いた荷物を受け取り,宿の決めごとを説明してもらって,シーツやら枕カバーを受け取り,さらに部屋割りなどを聞いて,割り振られた部屋に入る。まずは,風呂で汗を流そう。ざっと汗を流して,水のシャワーで脚を冷やす。湯船には浸からなかった。身体全体を温めてしまうと,血流が良くなって,その後ひどい疲労感やら脱力感を感じるからだ。とにかく,脚は徹底的に冷やしておいた。

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 汗にまみれたジャージを洗濯する間に,同室の方々とビール片手に歓談。こういう一時はなかなか楽しい。全員の到着の後に9時から夕食。バイキング形式の食い放題で踏猿たちのブルベ腹は充分に満たされた。

 夕食後,今夜も10時から明日のブリーフィング。ブリーフィング後,11時頃には就寝。いよいよ,明日は三連戦最終日。明日もがんばるぞ。

 そういや,宿に着いてから,尿意を覚えてトイレに行ったんだが,あの尿の色は,黄色というよりも赤色に近かったような,..(苦笑)。二回目は普通の色に戻ったけど。腎臓とかにかなりの負担掛けているのかも知れんな。
最後に

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新旧ママチャリマスターが並んでブルベカード記入の図。左がへばなさん,右は K 関くん(レア物画像なり)

初日に戻る      三日目に続く

【過去記録】2011 宇都宮山岳ブルベ三連戦の初日

BRM716宇都宮200km塩原【山岳】 完走記

愛称:「踏猿 フミザル」ブルベ

2011年7月16日 am 6:55 Start ~ pm 6:01 Finish (11 h 6 m)

 世の自転車好きの中には,好んで山に登る,いわゆる「坂バカ」と呼ばれる人たちがいる。とにかく,登りが好きで,自転車に跨がれば,山にばかり向って行く。そうした,「坂バカ」と呼ばれる人たちの中でも,とりわけ朝から晩まで飽くことなく登坂を繰り返す人達を,宇都宮の人々は,タマネギの皮を剥き続ける猿になぞらえて,畏敬の念を込めて「踏猿(フミザル)」と呼んだ,....のか?

夏の風物詩:AJ 宇都宮の山岳ブルベ ~踏猿達の祭典~

 初っぱなから狂った,今年のブルベスケジュールだが,日程を調整してどうしても出たいものがあった。それは,一昨年から始まった AJ 宇都宮の夏の名物ともなりつつある山岳ブルベ。一昨年は,ハードな1day の 200km ブルベ(前日の 300km との連続開催)。昨年は,二日連続での 200km の山岳ブルベ。そして,今年はさらにエスカレートした,三日連続の 200km 山岳ブルベである。公表されたルートラボのコースをみれば,これでもかと繰り返される標高 1000m オーバーへの登坂。三日間の累積獲得標高は 13,000m を超えている。「こんなルートは馬鹿げている」という感想は不思議と抱かなかったし,完走できないかも,..とも思わなかった。ただ,単純に「この三日間を走り切るんだ!!」とだけ思った。

 ブルベの開催週になると,何をやっていても週末のブルベのことが頭のどこかを占めているような状態になった。帰宅後は自転車を整備し,いろいろな状況を想定して細々した装備やら,走行後に摂取するサプリメントなどを準備。いよいよ,当日を迎えた。

 起床は0時過ぎ。少し寝足りないが,まあ,いつもの深夜発のブルベに比べたらまだマシだ。さて,いざ,修業の旅路に!(笑)いつものように,pokky 氏と一緒に午前1時半頃に宇都宮に向って出発。今回も会津から日光経由。5時半頃にスタート地点の宇都宮市森林公園に到着。既に,多くの「踏猿」達が集まってきていた。

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踏猿達の祭りの始まりだ!!

 数あるブルベの中で、わずか70%のみが完走できる<山岳ブルベ>。100名の熱き<ランドヌール>たちが、今 山岳ルートに挑む!参加者は200kmに及ぶブルベの走行で、八方平ともみじラインを走らされる。土平よりも先に進めない塩那も登らされる参加者。しかし、一部の会員はAJ宇都宮の企画に理解を示さず、辛口のコメントを寄せる。(AJ 宇都宮 HP より引用)

キャッチコピー:  「八方越えなきゃ 塩那へ進めない。」

距離 206km,獲得標高 3659m

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ポストへばな氏(ニューママチャリマスター)現る!

 受付をして,ブラブラしていると,おお,これか!?というものを発見。山形の K関さんの「ママチャリ(内装三段)」である。でも,よく観れば,どうもどこかに正面からぶつかったらしく,フロントフォークがフレーム側(ダウンチューブ側)に曲がっていて,オフセットが小さくなっているようだ。これで下りとか大丈夫なのか?と要らん心配までしたくなるほどの,年季の入ったママチャリだった。約 18kg とのこと。かなり重いが,でも,ライダーの体重と合わせた重量が,ナデラ男の体重と同じって,..(苦笑。

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予備チューブの取り付け方がマニアック

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フロントホイールは,デュラエースの36穴のハブを使ってラジアル組してある。これで以前よりも少し軽量化したとのこと。

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ブリーフィング

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@gak_t12さん(奥のでかい人)ともお会いできた

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 今回は宿に着いて,少しでもゆっくりできるようにと,3日間共に早いスタート時間をチョイス。初日は 7:00 スタートの組の第2ウェーブ(6:55スタート)。

いよいよスタート,まずは平坦基調で PC1 へ

 そんな積りは全くなかったのだが,R293 に入って,集団の先頭になってしまった。後ろを見ると,結構な人数が繋がっている。車の追い越しの邪魔になることもあって,気の短い運転手は無理に追い越したりするので,事故回避と言った安全面からも少人数に分断したい。なので,スピードを上げて分断しようとしても,さすがに好き好んでこの山岳ブルベにエントリーしてくる方々だけあって,ちょっとやそっとでは切れそうもない。結局,それなりのスピードを維持したまま PC1 のセブンイレブン南那須大金店に集団で到着(am 8:17)。が,結果的に,ここまでの平地区間でそこそこの時間貯金が稼げることになった訳だが。

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PC1 セブンイレブン南那須大金店に到着(am 8:17)

八方ヶ原から伝説の塩那道路へ

 補給食を購入して,急いで口に放り込み,残りはポケットに詰めて,さっさとスタート。PC1 を出てからは,出来るだけ一人旅に。PC1 を出て,しばらくすると次第に気温が上がって暑くなってきた。スタート時点で,2本のボトルの一方に CCD を,一方に BCAA&クエン酸を入れていたのだが,一本は真水にすべきだった。交互に飲んでいると,次第に口の中がベタベタして,気持ちが悪くなってくる。

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 一本のボトルが空になったので,八方ヶ原の登りに掛かる前に自販機から水を一本追加しておく(全然足らなかったんだけど)。前方に見えるお二方は女性二人組。自販機ストップで少しだけ言葉を交わしたが,三日間連続参加とか。お一方(右の方)は,結局三日間とも完走され,見事にシュペールグランペールを獲得されていた。淡々と走る姿に一種の迫力を感じる。

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 八方ヶ原の登りは,8~9% くらいが続く。プロフィールマップと走行距離を眺めて,ピークまでのペースを作る。垂直方向速度 10m/min を下回らないことを心掛ける。それなりに辛いんだけど。なにしろ,今日も先は長いし,さらに明日も明後日もある。今日くらいは走り終えて(比較的)楽だったと感じるくらいでないと,先が思いやられる。

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八方ヶ原の第1ピーク(am 10:54)#汗でレンズが濡れてボケボケである

 ピーク手前で,先行していたちゃりけん氏に追いつき,二人で最初のピークに到着。少しして,masa さんも到着。今日はアウター縛りではなくて,インナーでくるくる廻して登ってきたとか。いくらインナー使っても,ナデラ男のクランクはクルクルとは廻らんのだけど,..。

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第1ピーク(この後登り返しがある)にて(撮影:masa さん)

 何人かは降り始めて直ぐの右手にあった,レストハウスだか,道の駅だかに入っていったようだ。しばらく降って行くと,..

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 水場があった。地元のオジサンが水汲みをしていた。ボトル2本はほとんど空だったので,たっぷり飲んで,たっぷり詰めた。顔やら腕やら首筋やらに水を掛けて一息付いた。ジリジリと暑くなってきており,これから先が思いやられる。

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 ガボガボと水を飲んで,ザバザバ被っていたら,ちゃりけん氏も停車して補給。水汲みのオジサンに,どっからどこまで?と訊ねられたが,答えるのが難しかった(笑)。この後で,1キロちょっとくらいの登り返しがあって,ようやく本格的な下りが始まるものの,道は狭いし,路面は結構荒れているし,意外と対向車なども多く,あまり下りでの時間稼ぎにはならなかった。降りて来たところで,コマ図にはない分岐に出て,ちょいとオロオロする。後ろから来た人も,あれ,こっちでいいんだよね?という感じ。川を渡って塩原病院を見て正規ルートだと確認できた。

 ここの道は昨年も走ったところ。真っすぐに進めば日塩もみじラインに入る。今回は,伝説の塩那道路の,触りの部分がコースに組み込まれている。この伝説の道路,ちょいと興味があるが,完全なバリケードを突破して突入するほどではない(笑)。橋を渡ると登りが始まる。いよいよだ。暑さはかなりのもので,多分気温は 30℃に近いんじゃないのかな?

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 これが第1ゲートの看板。なんでも,夜(午後6時から翌朝の8時まで)になると閉鎖されるらしい。

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それにしても,これだけきちんとした舗装路が造りっ放しで利用されていないのは残念だ。総距離は 50km 以上あって,最高標高は 1700m を超える道路なんて,考えただけでワクワクする。

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 次第に高度を上げて行く。ここでも, 垂直方向速度 10m/minは維持。

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7~9%,所々(主に九十九折りのコーナー部分)10% オーバーの九十九折りが延々と続く。そして,恐らくは自転車が走行することなど端から想定外だとでも言わんばかりに,コーナーで急激に勾配が上がって,標高を上げて行く造りだ。

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 日陰が全くなく,直射日光は容赦なく照りつける。Garmin の高度計とプロフィールマップを頼りに「忍」の一字なり。ここは PC2 のある第2ゲート手前の土平で折り返しのピストンコースなので,PC2 に近づくに連れて,一人また一人とブルベ人が降ってくる。それにしても,先行している pokky 氏と出会わない。まさか,登りに掛かる以前にもみじラインに向ってしまっているのか?

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PC2 土平,塩那道路第2ゲート前(pm 0:38)

 PC2 の土平に到着。AJ 宇都宮のS藤さんがおられた。で,pokky 氏もいた。どうしたのかと訊けば,脚が攣ってダメだとか。ここで,masa さん,ちゃりけん氏と一緒になる。

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撮影:masa さん

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 水を貰い,一息付く。女性の参加者が登ってきた。それにしても,強い。決して速いようには見えないのだが,ペースが変わらない様子。

塩那道路を降り日塩もみじラインを経て,PC3 大笹牧場へ

 降り始めると,多くの参加者とすれ違う。1時間後にスタートしたグループの速い方々も登ってきている。@HEIZOSUN とも擦れ違った。K関くんとも擦れ違った。それにしても,ママチャリで,ここを登ろうとは,オレは決して思わない(笑)。

 降り切って R400 と県道19 とのT字路にあるコンビニの Coco で補給。暑いが,食欲は旺盛で,脂っこくて塩辛いものが無性に美味い。暑熱馴化に取り組んだ成果か?(笑)補給後,日塩もみじラインに向う。昨年の半ベソ登坂を思い出す(苦笑)。

 ここは料金所までが比較的長い。登っているうちに,なにやら暗雲垂れ込め,ゴロゴロと雷鳴まで,..。パラパラと降り出した雨は,ザーザー降りになった。この雨は,身体が冷えてむしろ幸いだったけど,あっという間に止んでしまった。勾配は急ではないものの,次第に飽きが来る登りである。

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 昨年も一息付いた湧水ポイントで顔やら腕やら脚やらを冷やす。気持ちがいい。昨年飲んで大丈夫だったので,ボトルにも詰めた。さて,ピークを超えて降り始める。昨年は観光バスによるブロックを食らって,大分イライラさせられたが,今年はスムースだ。出口の料金所の手前で何台かの車の後ろに付いてしまったが。出口ではオジサンが,別ゲートで対応してくれたので,待つことなく出ることが出来た。何だかんだ訊かれたが,適当に答えておいた。コースを聞いて,「今日中に走れるのかい?」と驚かれる。実は,明日も明後日も今日以上に厳しいコースが待っているんだが,..。

 さて,ここから先は昨年と同じコース。昨年は大笹牧場までの登りで力尽きたっけ。R121 の三ツ岩トンネルを抜けて,県道23に入る。ここからまた登りが始まる。いくつめだかのトンネルで,プロックパターンのタイヤのロードノイズと共に,ふぃりっぷさんにパスされた。とても,付いて行けないスピードだ。羨ましい脚力である。

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県道23から望むどこぞの線路(地理に疎い)

 しばらく走っていたが,どうにも咽も渇いてきたし,エネルギー不足のような気もしたので,自販機休憩。コーラとポカリスウェットと水,3本を一気に大人買い(笑)。それにしても,ペットボトルの購入代がとてつもない。三日間で一体いくら使うのか?まあ,飲まないと走れないのだから,仕方がないが。

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 ちゃりけん氏も自販機ストップ。ここからはほぼ同じペースで進む。栗山村に入って,いよいよ昨年半泣き状態になった大笹牧場への登りが始まる。これが本日最後の本格的な登坂。約30分ほどで大笹牧場に到着。時刻は午後4時半頃。よかった,ソフトクリームに間に合った(笑)。

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昨年も食べたソフトクリーム(pm 4:31)

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PC3 の大笹牧場でのチェック風景(撮影:ちゃりけん氏)

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PC3 での AJ 宇都宮のS木さん

ゴールのろまんちっく村へ

 ここからは,降りばかりなり。ちゃりけん氏と共にゴンゴン降る,ガンガン降る。最後の平地区間もゴンゴン引いて,ゴールのろまんちっく村に6時過ぎに到着。11時間6分で完走。大した疲労感はなし。

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AJ 宇都宮の S 藤さん。お世話になりました。

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AJ 宇都宮の I 塚さん。ありがとうございました。

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ナデラ男の後ろ姿(撮影:masa さん)

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pokky 氏を待つ手持無沙汰のナデラ男(撮影:masa さん)

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今日もトラブルなく走ってくれた愛車(撮影:masa さん)

 pokky 氏と,どちらか早くゴールした方が,森林公園まで行って,車を持ってくるという話にしてあった。すまん,pokky 氏。君が早く到着するのは走る前から決まっていたようなもんだった。ろまんちっく村に運んでもらった車から荷物を下ろして,自転車積んで,風呂入って,...。

 食事はどうしようかと思っていたが,HEIZOSUN がラーメン屋に誘ってくれたので,話のタネに行ってみた。ちょいと時間が掛かってしまったが,なかなか面白い趣向のラーメンだった。

 熱した石焼き用のどんぶりに入れた麺やら具やらにスープを注げば,たちまち沸騰して,さながら火山から噴き出す間欠泉の如くグツグツと煮えたぎったラーメンになった。ライスも付いて,なかなか美味しゅうございました。その後,森林公園から HEIZOSUN の車を回収して,明日の朝の食料を調達して宿に戻ると,直ぐに明日のブリーフィング。もう,眠いんだけど(笑)。

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宿舎の部屋の様子(撮影:ちゃりけん氏)

 宿は幸い貸し切りになったらしい。宿の部屋の組み合わせは,なにやら,Twitter のオフ会の様相を呈していた。@atkamano さん,pokky 氏,ちゃりけん氏,@gak_t12 さん,@eijitom さん,そしてオレ(@naderaman)である。どうも,AJ宇都宮のスタッフに Twitter 上での今回の山岳ブルベ三連戦への参戦の下りをウォッチされてたような感じだ(苦笑)。それにしても,皆,オッサンだ(失礼!)。みんなで,ワイワイ言いながら,ほんのちょっとだけビールを頂いて11時半頃に就寝。合宿みたいでなかなか楽しい。さて,明日もがんばるぜ。

二日目に続く

2020年12月25日 (金曜日)

休暇初日は引きこもり

 起床は6時すぎ。先に目覚めていたなでら女房が目眩がするらしく仕事を休むとか。明け方に除雪車のエンジン音が聞こえたのだが,特に作業はしなかったらしい。偵察か?(笑

 koji さんのブログに,へばなさんとのファーストコンタクトのことが載っていた。2008 年8月の AJ 宇都宮とランドヌール宮城の共同開催という形で行われた宇都宮〜名取の往復 600km のブルベでのことである。なでら男はこの年, 200, 300km のブルベを完走していて,400km と 600km のブルベを完走できれば SR(シューペルランドヌール)の称号が得られるという状況だった。で,初めての 600km という未体験の長距離サイクリングにドキドキで参加したのだった。なでら男は名取スタート,へばなさんは宇都宮スタートである。そして,このブルベがなでら男にとっても「へばなさん」とのファーストコンタクト(コース途中ですれ違っただけだったが)だった。なんだか,懐かしくなって HDD 内を探したら当時書いた完走記が見つかった。折角なので,再掲してみた。まあ,初めての 600km ということでえらく細々としたことまで備忘録みたいに書き込んでいる。

 この時は初めての 600km ということで大分神経質になっていたらしい。その辺りが文字量に反映されているような感じである。読み返すとあの当時の不安が蘇ってきて,えらく懐かしかった。へばなさんが亡くなって,自分の中に少しだけ残っていたブルベという遊びに対する未練のようなものに,自分なりの区切が付いたような,そんな気持ちがしている。まあいずれ,なでら男も向こうに行くが,どんな世界なんだろうか?向こうに行く時の気持ちは,初めての 600km ブルベと似たような感慨なんだろうか?(笑

 HDD を漁っていたら,他にも,2011 年7月の 200km 山岳ブルベ三連戦とかの記事も見つかった。暇を見て再掲しておきたい。

 2008 年のこの年は, SR のために秋の宇都宮 1000km にチャレンジした。宇都宮を出て高畠まで来て心折れて DNF したのだった。スタートから 450km ほど。長い距離のブルベをそれよりも短い距離のブルベ完走に置き換えられるため,400km あるいは 600km の代わりということで 1000km ブルベに参加したが,経験も実力もないのに調子に乗った結果だった。でも,これが,なでら男のブルベ経歴(そんなに回数は多くはないけど)の中での唯一の DNF である。都合が悪く DNS は何回かあるが,走り出して完走できなかったのはこの 1000km だけだった。以来,1000km には手出ししないままに事実上の引退をした。そんなことを懐かしく思い出してた。

 今日は一日引き篭もり。なでら女房は頭部の MRI を撮ったり,車屋に行って次の車の契約したり,..。って,俺の次の車はどうなるんだ?

Kurosuke

 久しぶりに登場のクロスケ!

 本を読んだり,ウトウトしたり,風除室の屋根の雪を下ろしたり,..。ひたすらウダウダと過ごす。

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 夕方になって雪が降ってきた。気温の高い日が数日続いて大分減ってきたのだが,また積もるのかね?

【過去記録】BRM802 宮城 600km(2008)

へばなさんとのファーストコンタクトとなった,初めての 600km ブルベの記録を HDD から発掘したので再掲しておく。なお,情報に関しては 2008 年当時のものであることを断っておく。

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BRM802_2008 宮城 600km 完走記
2008年8月2日 am 0:00 Start ~ 2008年8月3日 am 11:00 Finish (35 h 00 m)

下はコース確認のためにコピーしておいたツーリングマップルの地図を貼り合せてみたもの(不要になったので)。
14万分の1の地図で畳み1畳分ほどになる。やっぱり,600km ってのは,それなりに長い(笑)。

Map

プロローグ

 「ブルベ」という言葉を耳にしたか目にしたかしたのは,もう随分前のことである。多分,自転車雑誌に掲載された記事だったような気がする。カナダのロッキー山脈を 1200km 走る耐久ランに参加した記事だったように思う。そのときは,「ハードな自転車遊びがあるものだ」と思った程度だった。だが,妙に心惹かれるものも感じた。それから,同じ雑誌にパリ~ブレスト~パリに日本人が初めて参加したとの記事が掲載された。今思えば 2003年の大会だったらしい。これも興味深く読んだ。もっとも,どちらの記事が先だったかは判然とはしない。

 以来,言葉としての「ブルベ」は頭に入っていたが,実際に「ブルベ」を走ろうとまでは思ったことはなかった。参加者のブログやAJ 埼玉やAJ 宇都宮の HP などを通して,その雰囲気を感じ取っている程度だった。300km までの距離はこれまでも何度も走っていたし,自分としては長距離のファストラン系の方が性格的にも体質にも合っているような気がしており,参加してみたい気持もあったが,わざわざ関東方面にまで出かけて参加するほどに,気持が熟成するまでには到らなかったのである。

 しかし,ここで状況が少し変わってきた。一昨年(2006年)にランドヌール宮城が設立され,宮城(というか東北)でも昨年からブルベが開催されるようになったのである(2007年は 200km と 300km のみの開催)。折しも,昨年(2007年)はブルベの最高峰・パリ~ブレスト~パリ(PBP)の開催年(4年に1度開催)に当っており,友人の一人も埼玉などでブルベを走り SR の認証を受けて, PBP に参加し,見事に完走した。Web で刻々更新される PC の通過状況をチェックしながら届かない声援を送っていた。こちらは PBP など夢のまた夢だったが,まだ走ったことのない,400km,600km の長距離ブルベはどんなものなんだろうかと興味津々の状態だった。だが,この時点になっても,400km 以上のブルベを走るために関東方面に行こうとはしなかった。元来,面倒臭がり屋なのである(笑)。

 今年(2008年)になって,またまた状況が変わった。私の行動のきっかけには,どうも周囲の状況変化が必要らしい。ランドヌール宮城の HP に 600km ブルベの開催予定が掲載された。AJ 宇都宮との共同開催とのことだった。出てみようかと考えた。でも,400km も走ったことがないのに,いきなり 600km。しかも開催時期は真夏,..。汗っかきの体質なので真夏の長距離では常に苦しんでいた。BRM622 宮城 300km の際に顔見知りに訊けば,やはり,距離と開催時期を考えて,参加を躊躇しているとのことだった。私の方も同様だった。しかも,400km 以上では必須になるナイトランの経験がほとんど(全く?)なかったことも,参加を躊躇する理由だった。そんな訳で 300km を走った後も参加の踏切りがなかなか付かなかった。

 しかし,「ブルベ 600km の完走」は,自身の HP で新年の目標として掲げてしまっているし,自転車仲間と呑んだ際にも「走る!」宣言をしている。さらに今年は,600km を走り切るべく,3月から例年にない距離の走り込みをして,身体的パフォーマンスもこれまでにないほどの状態になっている。今更後には引けないというのが実情だ。600km を走り切るのに残っている必要なものは,小さな一歩を踏み出す勇気と経験値だけのはずだ。スポーツエントリーのページから,ポチッとしたのは 300km ブルベの直後(6月27日)だった。さあ,もう後は覚悟を決めて走るだけだ。この出来るか出来ないかギリギリのところのチャレンジが人生を豊かにしてくれる唯一のスパイスだと最近は思うのである(笑)。

準備編

 まず,機材関連である。自転車は 200, 300km に使用した COLNAGO はやめて,COPPI にした。このフレームは,今中大介選手がツールを走った時のものと同じものである。アルミ製(コロンバス・アルテック2)で硬いといわれているが,COLNAGO に比べれば,ヘナヘナと表現してもいいような柔らかいフレームである(と感じている)。いつもは練習用というか,代車にしていたマシンである。これを 400km オーバーのブルベ用のマシンにした。#ハンドルの高さがステムで変えられるのも利点。その後の 400km 以上のブルベでは常にこのマシンだった。

 下の画像は,600km 完走後のマシン。雨の可能性もあったので,後輪にのみ簡易の泥除けが付けてある。トラブルなく 600km を走ってくれたマシンに,ありがとうと言っておこう。ちなみにフル装備で 10kg オーバーである(笑)。#いや,12kg ほどもあったような気がする。

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 パーツ構成は以下の通り。クランク:シマノのコンパクトドライブ(50T & 34T, 165mm),スプロケット: Dura-Ace 10 speed (12 - 25T),ブレーキ本体:前後とも古い Dura-Ace (7400 系?),フロントディレーラ: Dura-Ace(105 の奴は強度不足で走り込み中にプレート部破損),リアディレーラ: 105,STI レバー: 105,サドル:スペシャライズド,ボディジオメトリ Alias 143mm,ホイール:クラシカルな手組み(これが一番良いと思っている)で,リム:ARAYA の RC-540,スポーク:メーカーは知らないが,#15, #14 のダブルバデット(だったと思う)。リアハブ:古い Dura-Ace(7400 系?),フロント:シマノ製のハブダイナモ (DH-3N70),ハンドル: NITTO のSTI 用の 420mm,ステム: NITTO 110mm,タイヤ:DedaTRE GRINTA (700 x 23C)で,一本 3000 円弱の安い奴だが,なかなか感じが良くて,自分としては他のメーカーの 5 ~ 7000 円のものと遜色ないと思っている(錯覚かも知れないが)。いろいろなブログなどでも好評の様子。

 さらに,実際に走ってみればあまり(ほとんど?)必要だとは思わなかったが,申し込んだ時点で GPS が不可欠なような気がしていた。知り合いが使わなくなったというものを借用したが,結局前日までジタバタした揚げ句に使わなかった(使えなかった?)。どうも,こういうものに頼り過ぎると何かトラブルがあった場合に困るような気がする。やはり,人間がキューシートをきちんと読む方が「ブルベ」らしいというか,それこそが「ブルベ」というような気がしている。#もし,使いこなせていたら,違ったコメントがここにあるだろうことは容易に想像がつく(笑)。

 もう一つの重要な装備が,夜間走行用のライトである。ママチャリで街中を走行するのとは訳が違う。外灯一つない山中の道を,時速 30km で走るためのライティングシステムというものを考えた場合に,選択肢はかなり限られる。いろいろと調べたが,結局ハブダイナモと匠光楽 [1] のライトの組み合わせを選択した。さらに,もう一灯の予備ライトとして,INFINI LUXO を使用した。ライトについては,好みもあるので,これが絶対だというものはないだろう。こればかりはいろいろと試行して自分自身にあったものを用意するしかないように思う。下の画像は,匠光楽のハブダイナモ用の 3W LED ライト。詳しいことは知らないが,多分内部に交流→直流の変換回路が組み込んであるものと思う。他の方々の評判通り,何度か夜のロード練習で使ってみたが,圧倒的な明るさで,夜間走行に対する不安解消に大きく役立った。また,補助で用いる電池式の LED ライトに関しては,こんなページがある。S氏からの情報です。ありがとうございます。

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[1]「匠光楽」というのは,西井匠氏が趣味で行っている,ライトの改造に関する「私設研究所」のようなものである(なのかな?)。製作者の西井氏は仕事の傍ら,ライト製作を趣味としているので,興味のある方は,西井氏のブログを通して氏にコンタクトして頂きたい。

 準備に関して,機材はもちろんだが,自身の肉体に関する準備が必須である。むしろ機材以上に重要である。機材なんぞ,ママチャリでも十分なのである(笑)#へばなさんが実証している。今年は,当初から600km ブルベを一つの目標にしていたので,3月から出来るだけ距離を踏むようにした。3月の米沢はまだ雪が残りロード練習もままならないので,自転車を車に積んで福島の飯坂附近まで出向き,そこを起点にして 100 ~ 150km 程度のロード練習を毎週のようにこなした。とにかくそれなりのアップダウンを含むコースを選択するようにした。シーズンインの後は,200, 300km のブルベ(300km まではとにかくスピード重視のタイムアタック),200km のセンチュリーラン(これもタイムアタック),自主的な 200km オーバーのアップダウンコースの走行,磐梯吾妻の山岳観光道路を何本か繋いで走るといったようなことを繰り返した。結果,3~7月でローラーを含めてほぼ 8000km を踏むことが出来た。お陰で,登りのスピードはそれほどではないものの(と言うよりも,正直遅い),ブルベにとって必要な(と思える),何度アップダウンを繰り返しても容易にへたらない脚を作ることが出来た(と思う)。ローラー練習を開始した昨年秋から体重は 13kg ほど減り,チェック用の強度での運動時心拍は 20 bpm ほども低下した。ブルベ前週の,鳥海のヒルクライムも,自分としてはそこそこのタイムで登ることが出来た(まだまだ遅いけれど)。まだまだ,絞り足りない部分はあるが,身体的な準備は一応整ったと感じた。

 さらに,唯一不安に思っていた(未体験の)400km オーバーの距離に関しては,当初,練習と最終的に SR 取得を目論んで,BRM705宇都宮 400km への参加を検討したが,いろいろな都合が合わずに参加を断念した。その代わりとして,7月12日に距離 475km,獲得標高差 3800m のシミュレーション走行(一部8月の 600km ブルベのコースを含む)を敢行し,23時間弱で完走した。午前3時に雨中スタート,午前2時に帰着という,絶好の(悪?)条件でのシミュレーションだった。機材や装備の善し悪しや長距離走での身体の変化,補給の仕方など,多くの情報を得ることが出来た。特に,本番で使用するザックの防水性のチェックやら,ザックを背負うことの身体へのダメージなども検討できた。この結果を受けて,ライトの取り付け方法の見直し作業などを行えた。お陰で 400km オーバーの距離に対する心理的なバリアが大きく下がった。一緒に走って頂いた樋口氏には深く感謝したい。なお,シミュレーションで得られたデータらしきものは以下の通り。

1.VAUDE 製のザック Ultratrail 20 の防水性能は秀逸。土砂降りの雨の中でも中に入れたものはまったく濡れず。ただし,この防水機能がどの程度持つのかは不明。案外短命かも知れない。

2.カンパニョーロの雨具は,可もなく不可もない。多分,どんなに高価な雨具でも汗で内部が濡れるのは変わらないだろう。

3.雨でシューズが濡れたまま20 時間ほども走る場合には,少なくてもソックスを,できればインソールとソックスを交換した方がいいだろう。雨でふやけた足の裏を固いレーサーシューズの靴底に押し当てることを10時間以上も続けると,足底が靴擦れ状になって痛くて溜らなくなる。今回も,足の裏の母指球附近の痛みと足先の痺れで苦痛を感じた。400km 以上走る場合には雨で濡れなくても汗で濡れていることがあるので 300km 程度で一度靴の中敷とソックスを交換するのがいいのかも知れない。

4.上と同様のことがレーサーパンツに関しても言えそうだ。雨で濡れたあと,あるいは多量の発汗で濡れたレーサーパンツで長時間走行すると,時にお尻の皮膚と擦れ合って,堪え難い痛みを伴うようになる。あるいは,これは経験した方もいるだろうが,コンビニなどで大きい方の用を足した後,レーサーパンツを履き直すと,パッドとお尻の接触位置が微妙にずれて,同じような擦れが起こり,これまた堪え難い痛みが出ることがある。この対処方法としてはレーサーパンツを履き替えるのが有効なように思う。あるいはレーパンのパッドにクリームを塗り直すことで解消できるかも知れない。この点は今回のシミュレーションでは確認できなかった。

5.補給はまあまあ巧くいったような気がするが,やはり15時間を越える走行時間になると,固形物の補給が摂り辛くなった。水分の過剰摂取による胃液の濃度低下が原因かも知れないが,水を飲まない訳には行かないし,この辺りは個人差が大き過ぎて一般論はないようだ。

6.補給食に関しては,これまた個人差があり過ぎて一般論は成立しない。今回,長時間の走行を経験して,やはり「羊羹」が優れた補給食だと再認識した。帰りの小原温泉附近でどうにもおかしな眠気が襲ってきた時,男鹿行き(チームの恒例イベントに,男鹿半島 - 米沢の 300km ファストランがある)の経験から,恐らくはハンガーノック性の眠気だろうと判断。保険に持っていた羊羹を食べてしばらくしたら眠気が消えた。カロリーメイトなどでは咽につまらせて窒息しかねない(笑)。

7.ヘッドランプは夜間にメータ類をチェックする以外には使わなかった。で,あればメータ類のライティングシステムを設置してヘッドランプは外した方が走る身にとっては遙かに快適だ。ただ,道路標識の確認などにはあった方が良いかも知れず,その点(ヘッドランプで標識やランドマークが確認できるかどうか)だけは未確認。

8.走行中,フライトデッキの速度表示が「0」になった。Qシートを参照しながら走る場合,これは命取りになる(大袈裟な)。新たに距離計を付けるべきかどうするか,..。

9.シマノ製のレインキャップなるものを初めて使ってみた。で,これはいい。今までは雨中走行時は眼鏡を指ワイパーで拭いながら走ったものだが,帽子の庇のせいで眼鏡のレンズに水滴があまり付かない。プロ選手などが雨天のレースでレーサーキャップを被る訳がようやくわかった。水滴が目に入り辛いだろうということは予測できたけど,ここまで効果があるとは思わなかったのである。

10. シューズのソールだが,流行りの硬いカーボン製よりも,プラスチック製の柔らかめの方が長距離,長時間には適しているように思う。

11. ライティングシステムは,匠光楽に関してはほぼ完璧。照射角度を走行中に微妙に変えられるようなシステムがあればなお便利である。

 走行前のマシンのハンドル周りは下の画像のようになった。キューシートは短冊状に切って一方を束ねて2枚のプラスティック板に挟んでハンドルバーに固定した。右側のコマを通過したら一枚日めくりカレンダーのようにちぎって捨てるのである。だから,もしミスコースをして次の短冊に行くと致命的となる(笑)。もちろん,そうした場合に備えて,もう一部をザックに入れておいた。今から考えると,PC から PC までを一枚に収めるようなやり方もあった。次回からは,そういう形式にして,各ページをラミネート加工しようと思う。

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 ヘルメットに搭載するライトに関しては,主たる役目はメータ類やキューシート(あるいはコマ図)確認であるから,それほど吟味する必要もないように思われた。しかし,夜間のパンク修理などへの対応を考えると,やはりそれなりに充分な明るさは確保しておきたい。7月のシミュレーション走行の結果から,重いライト(100g 以上のものを取り付けた)では,長時間走行による頚,肩へのダメージがかなり大きいことがわかった(半端ない肩凝り)ので,出来るだけ軽量のものを探して取り付けた。下の画像がそれだが,Panasonic の BF-264BP という製品で,電池,ベルト込みで 50g という軽量なもの。ベルトは外して取り付けたので,実際の走行時に重さは全く気にならなかったし,光量も十分だった。感覚的には 100g を越えると,長時間走行中に頚や肩に負担が感じられるように思う。

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 こうしてみると,今年に入ってからの自転車遊び(?)のベクトルはすべて 600km ブルベに向いていたようだ。これだけやって,もし完走できないとしたら,それはよほどの間抜けに違いない(笑)。

前日(8月1日)

 前日はできれば休みを取りたかったが,いろいろあって無理だった。それでも,早めに帰宅したので,少しでも仮眠を取ろうとしたが,気持が昂ぶっていて全く寝付けなかった。その前日も仕事やら GPS いじりで睡眠は3時間弱だったので,眠いはずだったのだが,..。

 午後7時過ぎに装備一式を積んで,スタート地点の宮城県名取市 CSC に出発。10時半頃に会場着。誰も来ていない様子。ここでも,車の中で少しでも仮眠を取ろうとしたがやはりダメ。11時頃からボツボツ人が集まり出した。受付をして,準備を始める。ザックを背負う人は少ないようだ。シートポストに取り付けるビームタイプのリアバックを用意して,そこに全部の装備を入れるのがベストだろうけど,サドルやシートポストの関係で巧く合うのが見つからなかった。

 さて,ザックに何を入れて走るかは,長距離になれば,それなりに重要になる。今回は,雨具(にわか雨なども考えていた),レインキャップ,ウィンドブレーカ,替えのシューズの中敷とソックスとグローブ,ゼリー2つ(保険として),CCD 6袋(100km 当り1袋の計算),小さな羊羹を多数(PC 間での走行中の補給用,いくつかずつジャージのポケットに移し替えた),コピーした地図およびキューシートとブリーフィングで貰った休憩場所のプリント一式,ヘッドライトおよびバッテリーライトの予備電池,予備チューブ2本(チューブは全部で4本携行),尻用の塗り薬,アソスのクリーム,タオル1本,大きめと小さめのタイラップ数本(何かあった時のために),現金,...などである。あ,デジカメも入れておいた(が,一枚も撮影していない)。こうして列挙すると結構な量になる。おおよそ 3kg ほどだろうか。なお,使ったのは前述したように VAUDE 製のザック Ultratrail 20 である。使用レポートは,こちら,あるいは,こちら。優れた防水性能は,7月のシミュレーション時に実証済み。#赤字は結局使用しなかったもの。今なら防水性能の高いデジカメもあり,走行中かなりの枚数を撮影するので,走行後の画像整理に時間が掛かって仕方がないが(苦笑)。

 ジャージのポケットには,ビニール袋に入れた携帯電話,小銭,小さな塩羊羹5~10個,ビニール袋に入れたブルベカードといったところ。各 PC でのレシートはブルベカードと一緒にビニール袋に入れておく。飲薬の袋などがジップロックも付いていてちょうどいいサイズである。

8月2日(土)午前0時~8月3日(日)午前11時

 午前0時。いよいよスタート。ここからは残念ながら写真が全くない。次回からは出来るだけ撮影しよう(笑)

名取(スタート地点) → 相馬(PC1 ローソン相馬松川浦店)47.5km,am 1:42

 スタートしたのは10名ほど。スタートした途端に,SEKI みちのくやベルエキップ(だっけ?),チーム奥州など脚のある7名ほどがパックを形成し,どんどん先行する。こちらは,少し間隔を空けて付いて行く。なにしろ先は長い。最初の PC1 まではセンチュリーランなどで勝手知ったるルートなので,この区間でキューシートとサイクルコンピュータを照らし合わせながら走ることに身体と頭を馴らすことにする。匠光楽のライトの明るさは申し分なし。30km/h 前後で巡航する。

 私の後ろには2名。一人は函館から参加とのこと。先日の恵庭 1000km はスケジュールが合わずに走れなかったとか。もうお一方は,先だっての宇都宮 400km を完走して,今回の 600km に SR が掛かっているらしい。なんでも,ロードバイクに乗り出してまだ数ヶ月とか。それでもう SR ですか,..。失礼だが,お腹周りもまだまだ太めで,もっと身体を絞り込めばさらに走るスピードは上がることでしょう。名前をお伺いしていなかったので,以降は,H氏(函館からの方),S氏(もうお一方)と呼ばせて頂く。

 全くのド平坦なコースを走り,1時42分頃に PC1 のローソンに到着。H氏が,見辛い縁石に乗り上げて落車した。私も危うく乗り上げそうになった。幸い,機材関連のトラブルもなく,擦り傷程度で済んだ模様。ここで,水と小さなあんパンを買って,軽く補給。腰の痛み止めの薬を飲む。7名のパックは先にスタート。

 ところで,GPS を眺めながらスタートしたが,走り出して 10分でトラックバックによるナビゲーションは瓦解した(笑)。これ以降は GPS はスイッチを入れた状態でザックに放り込んでおいただけ。しかも,ゴール後に確認すると電池切れ。つかえねぇ(笑)。

相馬(PC1) → 霊山(PC2 セブンイレブン福島霊山店)90.0km, am 3:52

 PC1 をスタートして,ここから R115 に入る。このコースは霊山から相馬,相馬から霊山どちらも走ったことのあるコース。ダラダラ登りが十数キロ続く。明るいうちなら渓流沿いの,それなりの景観が楽しめるのだが,暗闇の登りは何も見えず,退屈で詰らない。S氏といろいろと話をしながら走る。途中で勾配が急になる。H氏が若干遅れ気味になる。この辺りで雨が降ってきた。ガスも出ている。湿度はほぼ 100% だろう。かいた汗が全く乾かない。しかも,発汗量が多い。なにしろ蒸し暑い。薬を飲んでもやはり腰は痛い。S氏が,ザックの肩ベルトを下げて,ザック本体を腰の上辺りで支えるようにすると腰の痛みが軽減すると教えてくれた。だらしのない高校生のような背負い方をするらしい。試しにやってみると,確かに少し楽なようだ。幸いなことに雨はピークに着く前に上がった。考えてみれば,私のキューシートは雨対策が全くされていない。雨が降ってきた時には,どうしようかといろいろと考えていたが,実行に移すことなく雨が上がってホッとした。

 ようやく霊山子供の村付近を通過して,ここからダウンヒル。しかし,この辺りから眠気が襲ってきた。もう午前3時頃。昨晩は睡眠時間3時間弱。仮眠は出来なかった。眠気が出るのは無理もない。匠光楽のライトを持ってしても,コーナーの半径が正確に把握できないのでダウンヒルが少々怖い。と,後ろから車のヘッドライト並の灯が,..。てっきり車が後方に貼り付いたのかと思ったが,S氏のバッテリーライトだった。訊けば,リチウムイオン電池式の 5W LED のライトを4基搭載しているとのこと。猛烈な明るさだ。もっとも2時間しか持たないらしく,降り用と言っていたが。さすがの匠光楽のライトも,この5W 4発には敵わない(笑)。眠気でちょっとふらつきながら3時52分に PC2 に到着。ここで眠気覚ましのガムを買い,甘いデザートを食べ,前の PC で買った餡パンを食べる。ここでS氏が PC1 でレシートを貰っておかなかったことが判明。いきなりのトラブルだ。確かに,あのローソンのおっちゃんは言わないとレシートをくれなかった。まあ,我々が一緒にいたことを証言すれば大丈夫だろうと PC3 に向うことにする。ようやく空が白み出した。

霊山(PC2) → 小野(PC3 ミニストップ小野インター店)150.9km,am 6:54

 PC2 を出て,明るくなった頃から眠さと怠さ(多分軽い脱水症状,睡眠不足だとなりやすい)のダブルパンチで走行スピードが全く上がらなくなった。一緒に走るH氏,S氏から遅れがちになる。 R349 はそれなりにアップダウンもある。半分意識を失いながら走る。トンネルを越えた辺りだろうか,水もなくなったので,一人ストップして自販機で給水。お二人には先に行って貰う。ここで,ハブダイナモからライトの接続を外す。しばらく体操のようなことをして少し気分がすっきりしたのでまた走り出す。一人の方が走ることに意識が集中するようだ。しばらく走っているうちに前方に二人が見えてきた。あれれ,追いついちゃったよ。結局,PC3 には6時54分に到着。ここは有人 PC で AJ 宇都宮の方がスタッフとして通過チェックしていた。S氏が PC1 の件を切り出せば,一緒にいた方が証言すればということで,無事に PC1 の通過が認められた。

 今回の 600km のコースは基本的に八の字を描くように設定されていて,八の字の交点が,この PC3 である。したがって,この附近で宇都宮スタートの参加者(60名近いらしい)とすれ違う。ここでは沢山の宇都宮からの参加者と出会った。こんなに沢山のブルベライダーを見るのは初めてだ(笑)。ここでおにぎり2個とその他の補給を摂る。ここで,先行していた7人から離れた,仙台の土田さんが加わった。そこそこ長い休憩を取ってから,残り 3/4 に向って4名でスタート。残りは「3センチュリー(1センチュリー=160km)」である(笑)。

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 #写真は AJ 宇都宮のスタッフの撮影。なでら男はオレンジジャージ。土田さん,S さんと共に。

小野(PC3) → 塙(PC4 ファミリーマート道の駅塙店)213.3km,am 10:27

 小野の PC を出てしばらく走ったところで,伝説のママチャリライダーと出会う。今年になって 200, 300, 400km ブルベをママチャリで完走し,今回の 600km ブルベで「ママチャリ SR」を目指す強者である。本当にドノーマルなママチャリだった。世の中には強靭な方がいるものだ。

 さて,ここからが難所である。高架道路の工事現場を通過していよいよ始まる「石川広域農道」。標高差 20 ~ 50m ほど(あくまで主観,100m 程のところもあったか?)の登りと下りが,際限なく繰り返される。いい加減に消耗したところで,距離にして 3km 以上のアップヒル(どこがピークだよ?)。下って,大きな道にぶつかって,ようやく終わりかと思えば,道を横切ってから,また始まるアップダウン。いろいろな道路を走ってきたが,ここまでライダーの走力(気力?)をそぎ落としてくれるような道路はあまりお目に掛からない。もっとも,同行した方々が遅れ気味になるので多少ペースを落として登ったお陰で,徹底的に消耗するまでには至らなかった。今から思えば,あのペースで登ったことが最後までいい方に作用したようだ。もうじき PC4 だったが,水もなくなり,腹も減ったので,目に付いたセブンイレブンに入る。水を補給し,プリンを食っていると,土田さんも停車。二人で軽く補給。一息付いていると,後から来たH氏とS氏に先行された。すぐに PC4 だからね。休憩後,ほんの少し走って PC4 へ。着いたのは 10時27分。先の休憩ははっきり言って無駄だった。ここでも,おにぎりとかお菓子などを食べる。今日は食欲が落ちないのが幸いだ。

塙(PC4) → 馬頭(PC5 セブンイレブン那珂川町馬頭店)256.5km,pm 0:40 (?)

 「石川広域農道」がようやく終わったと思ったら,また「県北北部広域農道」が始まる。それにしても,登らせてくれる。しかも,暑くなってきた。土田さん,H氏,S氏の3名からは先行。登り降りを繰り返す。もう,ここまで来ると笑ってしまう(笑)。それにしても,眠い,怠い,走るスピードが落ちる。ハンガーノックか? 咽も渇いたので道端の自販機でコーラを購入。ボケーッと飲んでいると,土田さんが追いついてきた。もうすぐ PC5 とのこと。私は,キューシートを短冊状にしているので,もうすぐ PC というような状況が判り難い。土田さんの後ろに付いて走る。1時近くになって PC 5 に到着。暑い。ここで日焼け止めを塗る(もう遅いって)。ここで,ぶっ掛けタヌキうどんとやらを食す。しょっぱい汁が美味い。どうも,ここのところ毎回これを食っているような気がする。食い終えた頃にH氏がやって来た。あれ?S氏は?ラーメン屋に入ったとの話もあったが,後で訊けば自販機で水を補給したとか。補給中のH氏,S氏に先行して土田さんと一緒に出発。ここからのコースがわかり難いと言うが,...。

馬頭(PC5) → 宇都宮(PC6 サイクリングターミナル) 302.3km,pm 3:15

 それにしても暑い。物凄く堪える暑さだ。ここからまた始まる広域農道「八溝グリーンライン」。一体,どれだけ登るんだ? 登らなくても済むコースが取れるんじゃないのか?とすら思う。10% 近い急勾配を登って,ピークを越えて下りに入った瞬間に前方に同じような勾配の登りを見ることを今日は一体何回繰り返したことか。流石に嫌になってきた。AJ 宇都宮のコース作成スタッフに対する恨み辛みを口の中でブツブツと繰り返しながら,それでもなんとかアップダウンをこなす。「へっちゃら,へっちゃら,なんくるないさ,踏んでいればいつかは終わる,..」なんて言葉が頭の中をグルグル巡る。往路の残り数キロ。宇都宮の森林公園の 17%(なんてないようにも思うが) の急坂をようやく越えてたどり着いた PC6。登る途中で折り返してきた宮城からの参加者6名とすれ違う。羨ましいことに,元気一杯じゃないか。

 サイクリングターミナルの2階の和室には AJ 宇都宮のスタッフの方2名がいた。時刻は午後3時15分。思ったよりもずっと時間が掛かったし,かなりの消耗度合だ。この消耗度合は,まさに想定外である。ここで,水を飲んだり,アイスクリームを食べたり,雑談したりと,1時間以上の大休止。エアコンの効いた部屋でほんの少しウトウトする。まだ陽射しが強くて,外に出て行って走る気にならない。エアコンの効く部屋を一歩出ると,ムッとする熱気に包まれる。後続の二人が着くまでとか言って,ウダウダと過す。が,なかなか後続の2名が来ない。こんなに離れるはずはないように思うんだが,..。仕方ないので,4時半頃に土田さんと出発。外はまだまだ暑い。さて,残り半分だ。消耗度合から判断して,復路が少々不安ではある。

宇都宮(PC6) → 那須塩原(PC7 セブンイレブン那須関谷店)351.5km,pm 7:10

 PC6 を出発して,国道に出ると,向こうから走ってくるH氏とS氏の姿。頑張れよ~~! ここから那須塩原の PC7 までがえらく辛かった。県道 30 号が,緩やかにダラダラと登っているのである。スピードが上がらない。暑い。水が切れてきた。たった 50km ほどに2時間40分程も掛かった。PC7 に着いた時には,かなりへばっており,しかも,脱水,軽い熱中症のような状態で,正直,これじゃ完走できないと暗澹たる気持になっていた。やはり,この時季の一番の敵は暑さのようだ。この辺りでビアパーティで大盛り上がりの米沢の加藤さんから電話。こっちがかなりへばってイライラしている時に,いい調子で酔っぱらった声を聞くのは心底腹が立つ。面倒臭いからすかさず切ってやった(ごめんね)。

 ここで水を1リットルほど一気飲みしてようやく落ち着いた。塩分とタンパク質を摂るために麻婆豆腐丼を食べる。幸い,まだ固形物が摂れる。試しに,リゲインなんてものも飲んでみる。ボケーッとしながら,これであと24時間踏み続けられるかなぁなんてバカなことを考える(笑)。と,遅れてきた土田さんが到着。開口一番「身体がおかしい」と。心拍が 150 から下がらないらしい。さらに,不整脈とか。脈を取らせてもらうと,「トトトト,ト,ト,トトト,トト,...」というような感じである。これはまずいだろう。私も以前に熱中症になった時に心拍が 180 から下がらなくて 10 分程蹲ったことがある。そうした経験から,熱中症と脱水じゃないのかということで,水分を補給し,食事を摂ったものの,なかなか回復しない様子。昨年の PBP を完走した方であるが,大事を取ってランドヌール宮城の鈴木氏に途中棄権の連絡をすることになった。ブルベは今日だけじゃないし,撤退する勇気も必要だ。PC7 から那須塩原の駅まで 5km 程で,そこから輪行して帰ると言う。お気を付けて。こちらの調子も楽観できるほど良いわけではない。知り合いに近況報告。美味いビール片手に応援してくれるようだ(笑)。女房から何度か電話とメールが来ていたので,自宅にも電話を入れる。死なない程度に頑張って走るぜ(笑)。それにしてもブルベって危険な遊びだ(苦笑)。

那須塩原(PC7) → 白河(PC8 セブンイレブン大信増見店)401.6km,pm 10:20

 さて,ここからは一人旅のナイトラン。ちょっぴり,心細いぜ。ハブダイナモに匠光楽のライトを接続。圧倒的に明るい光が心強い。今いる辺りは那須高原との触れ込みだが,気温が高く蒸し暑い。所々でガスも掛っている。しかも,眠くて仕方がない。ここから PC 8 までは半分寝ながら走る。とにかく眠いので,どこかに仮眠の取れる場所がないかと探しながらフラフラと走る。

 時折,ヘッドライトで走行距離とキューシートをチェックするが,スピードが 20km/h を割り込んでいることも多く,些かうんざりした。しかも,仮眠の場所を見つけられないまま,白河手前の県道68号(県道30号が途中から変わる)のアップダウンセクションに入る。7月のシミュレーションで走っているコースだが,おおよそコースを知っているだけに余計に堪える。途中で,道端で立っている女性を見つけたりしてビックリする(これは誰かを待っていた様子だったけど)。結局,仮眠場所を見つけられないままに PC8 に到着。見つけられないというよりも,もっといいところが,..などと考えて踏切りが付かなかっただけかも。本当に危機的状況なら道端でも十分眠ることが出来る。いずれ,その状態を迎えるわけだが,..。

 ここで,コンビニのおばちゃんに,「自転車装束の6名くらいが来なかったか?」と訊けば,「アンタが初めてだ」との返事。どうやら,先行した6名はどこかで寝ているらしい。後で訊けば,温泉ランドのようなところで,風呂に入ってビールも飲んで,4時間ほど寝たらしい。ベストの選択と思う。こちらとしては,今回は出来るだけ悪い条件で走ってみたいと考えていたのできちんとした仮眠場所などは最初から考えていなかった。最悪を知ってしまえば,それ以降は何があっても「へっちゃら,へっちゃら,..」で行けるはず。でも,この状態になると,やっぱりどこかちゃんとしたところで仮眠取りてぇ~というのが正直なところだった。PC8 を出て,どうしようかと考えて,PC9 の有人 PC(往路の PC3)まで行けば仮眠が取れるだろうということで,何が何でも PC9 までいくことにして,PC8 をスタート。

白河(PC8) → 小野(PC9 ミニストップ小野インター店)450.2km,am 0:40 (?) あるいは am 1:00 (?)

 ここの区間もアップダウンが続く。眠くて半分朦朧として走っていたので,余計にそう思うのかも知れない。暗闇で先が見えずに,コーナーを曲がる度にライトの光の中に新たに認識される登り勾配に心底がっかりしつつ,それでも走り続ける。そのうちに道路の白線が得も言われぬ催眠術のような効果を持ち始め,頭の中でおかしなストーリーが勝手に進行し始める。よく眠りに落ちる直前に全く脈絡のない話が展開するのと同じである。自分はいま自転車で走っているのに,頭の中では,パソコンに向って仕事をしているような映像が勝手に流れ始めるという具合である。その度に,いかんいかんと水を飲んだり,補給を摂ったりするが,また直ぐに同じような状態になる。終いに,白線がユラユラと浮き上って見え始めるし,道路脇の反射材を貼り付けたポールなどは全て道端の人に見えてくる始末。#このブルベ以降も 400km 以上の距離になって深夜走行を強いられると,眠気による幻覚に悩まされた。いわゆる「道端応援団」が多数見え始めるのである。道端の光を反射するものが全て人に見え始める。困ったものである(苦笑。

 車もほとんど通らない山の中で,この状態になるとかなりやばい。もう,どこでもいいから寝転がって寝てしまおうという気分になってきた。それでも,距離を見れば,あと 10km もしないうちに PC9 に着くということで,そこまでは頑張ろうとフラフラと走る。小町ダムの辺りでようやく少し意識がシャキッとした。#大分後で聞いたのだが,このダム近辺は心霊スポットだとか(苦笑。

 下りを走っていると折り返してきた宇都宮からの参加者数名のグループとすれ違った。ユラユラと揺れながら近づいてくる強力なライトの一群はブルベならではの景色で,やはり一種異様である(笑)。ようやく PC9 に到着。

 ここで,カップ麺のカレーうどん,ポテトサラダ,野菜ジュース,牛乳などをドカンと補給。いつもはこれくらいの距離になってくると水分の過剰摂取(夏場だけだが)で胃液が薄まって固形物の補給が摂り辛くなってくるのだが,今回はなぜか何を食っても美味いので非常に助かる。補給後はミニストップの椅子に座って壁にもたれて1時間ちょっと仮眠。

 よく考えれば,8月1日の朝6時に目覚めて以来だから,40時間以上寝ていなかったことになる。目が覚めると周囲の椅子には多数の参加者たちが同じように仮眠を取っていた。コンビニにとっては些か迷惑な客ではなかったのか(苦笑)。まだまだ寝足りなかったが,それからは巧く寝付けなかったので,しばらくそのままダラダラと休憩し,大分意識もはっきりしたので,3時半頃にスタートした。

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 #写真は多分 AJ 宇都宮のスタッフの撮影。やはり,だいぶ消耗しているようで頰がコケ気味。死んだように眠るなでら男。

小野(PC9) → 富岡(PC10 ローソン富岡上手岡店)496.6km,am 6:00 (?)

 スタート直後は,仮眠を取ったこともあり,比較的すっきりしていた。さあ,残り 150km をガンガン行くぜ!ってな気分だった。途中で宇都宮からの参加者とすれ違う。お互いに「頑張れよ!」と手を振りあう。お互いに残りは「1センチュリー(160km)」程度である。もっとも,宇都宮組はこれから「石川広域農道」に突入するのだが,...(笑)。

 1時間も走ると明るくなってきた。今回サドル上で迎える2度目の夜明けである。そしてここから猛烈な睡魔との戦いが始まった。なにしろ眠い。県道36号の川内村附近がまさに地獄。意識が飛び始めたこともあって,堪らずに道端の,今は使っていないような建物の軒下で横になる。目を閉じた途端に眠りに落ちたようだ。約30分の仮眠。まだまだ寝足りなかったが,走れそうだったので走り出す。ここで,ライトの接続は外した。これから富岡までに同様に道端に転がり2度ほど10分程度の仮眠を取ることになる。

 ノロノロとようやく PC10 に到着。ここでは,焼きそばを補給。まだ食欲は落ちない。ここでも眠気覚ましになるかと,また栄養ドリンクのようなものを飲んでみたが,結果的に全く効果はなかった。もともとカフェインなどがほとんど効かない体質なのである。朝から陽射しが強く,既に暑くなってきている。やれやれと出発。

富岡(PC10) → 相馬(PC11 ローソン相馬松川浦店)554.2km,am 8:50

 PC10 からは県道35号を北上する。ここもそれなりにアップダウンが続く。スピードが上がらない。また,猛烈な眠気が来た。登りで蛇行したり,下りでガードレールに吸い寄せられたりという状態になったので,またまた道路脇の歩道に倒れ込んで仮眠。行き倒れ状態と間違われないように(笑),きちんと自転車を立て掛けて,ザックを枕にして眠る。携帯のアラームをセットし,いっそのこと1時間くらい寝ようと思うが時折通り過ぎる車の音で目覚めてしまう。精々仮眠時間は10分程。起き上がると,汗で濡れたジャージで,路面にチーム名がプリントされている(笑)。

 この状態になっても不思議なことに「何でこんなバカなことやってるんだろう,..」といった類いの愚痴めいたものは出ない。自分でも不思議なのだが,今まで「とれとれバイク」やら八代正氏の「ウルトラ 100km」などのイベントで,この手の過酷な状況に対する,かなり高い耐性が身に付いているようだ。こうした非日常的な体験をしている自分を,面白がっている第三者的な自分を意識することがある。基本的に「M」体質なのかも知れない(笑)。

 それにしても暑くなってきた。海沿いの農道を走り,ようやく PC11(往路の PC1)に到着。ここでスタートから13回目になる食事を摂る(補給過剰かも)。おろし蕎麦を食ったが,この段階でも,うま~い(笑)。さて,残り 50km 弱だ。ここから先はキューシートは必要なし。意識もシャキッとしてきた。

相馬(PC11) → 名取(サイクルスポーツセンター)601.7km,am 11:00

 ようやく眠気も消えた。スピードは 25 - 30km/h 程度。ところで,...

 400km を越えた辺りから,尻が痛くなってきている。汗っかきのせいで,レーパンに塗り込んだアソスのシャーミークリームは既に流れてしまっている様子。そうならないようにと折り返し辺りから尻とレーパンに他の薬を塗り込んだりしていたがダメだったようだ。とにかく尻が靴擦れのような状態になっていることがわかる。サドル上での尻のポジションは,ピンポイント状態。少しでもずれると猛烈に痛い。何かの拍子にダンシングをすると,この位置がずれるために,猛烈な痛みが走るため,走りながらレーパンを少しずつ引っ張りながら,尻を上げたり降ろしたりしながら,痛みの来ないポイントに尻をずらして行く。この尻の痛みに関しては,折り返しでレーパンを履き替えるという方法もあったように思う。

 さらに,長時間に渡り,ブレーキブラケットを握っている指の股もかなり痛んで来ている。特にフロントのチェンジをする左手が痛い。折り返しでグローブを換えたのだが,それでこの程度で済んでいるのか,効果はあまりなかったのか判然としない。走りながら,「いっそのこと,フロントだけシフトレバータイプにしたらどうかな?」なんてことも考えていた。リアは比較的頻繁にチャンジするものの,フロントはそれほどでもないので,シフトレバーの方が手へのダメージは減らせるかも知れない。それにしても,そもそも,STI レバーなんぞ,この距離の走行には不要じゃないのか?

 それと今回は折り返し点でシューズの中敷とソックスも換えた。これはかなり有効なようだ。シューズの中で足底の当り面が微妙に変わるので長距離での足底へのダメージが軽減できてるようだ。持病ともいえる腰や頚などは 200km 程度からずっと同じような状態で,悪化することはなかった。痛み止めの服用は2回。これが効いたのかどうかはよくわからなかった。一方で,右の肩がひどい凝りで,痛みすら伴ってきている。まあ,600km も走れば,それなりにダメージは来るだろう。むしろ,想定したダメージよりも軽い。この程度で済んでよかったと言える。

 最後の松林ロードも終わり,農道をグルッと走り,やたらに混雑している名取 CSC に入る。車が一杯の駐車場をグルッと回ってみて,ランドヌール宮城の鈴木さん発見。終わった。完走である。時刻は午前11時。35時間。復路に 19時間程も掛かった。平均で 16km/h 程度しか出ていない。もう少し巧く走れば,2時間くらい短縮出来たようにも思う。とにかく登りが多かったという印象がある(でも,昨年の 600km に比べれば,コースは大分楽になったらしい)。登坂に強くならないと,こういったコースの時間短縮は難しい。さらに仮眠を取る技術ももう少しなんとかしたい。そうした課題を残しつつ,いずれにしても,今年前半の最大の目標にしてきたイベント終了である。

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 近くの松韻荘(だったかな?)の風呂で汗を流した。尻が猛烈に痛い。風呂から出て,さっぱりしてサイクリングターミナルの3階の部屋に行ってみると,集団で走っていた6名が既に到着していた。お疲れさまでした。昨夜は6時頃から10時半頃まで仮眠を取ったらしい。復路も 13時間程度でクリアしているようだ。やはり,きちんと休憩や仮眠を取ることが所要時間短縮のポイントなんだろう。でも,やっぱり,条件の整っていないことの方が多いような気がするので,今回のような仮眠の取り方にも慣れておく必要がある。使い分けがポイントだ。

 実家までの 30km 程度なら仮眠なしでもなんとか運転できるだろうと名取 CSC を辞した。が,やはり 600km のダメージはそれなりで,途中で意識が飛びそうになり,2度ほど停車して気分転換をする羽目になった。最近,あ,やばそうという感じが分かってきて,きちんと危険回避できるようになってきている。途中の松林の中で,向こうから走ってくるS氏発見。おめでとう。これで SR だ。実家に着いて,軽く食事して4時間ほど寝た。大分すっきりしてから出発。7時前には帰宅できた。

エピローグ

 走る前は,これを完走したら,大きな達成感を味わえるだろうと思っていた。しかし,走り終えてみれば,なぜか達成感は今一つ。もっと全てを巧くコントロールして走りたい,走れたはずだという思いが残った。もう少し効率のいい仮眠の取り方が出来ていれば,もっと楽に走り切れたと思う。暑さもそれなりに堪えたが,一番の敵は睡魔だったように思う。脚の方は全く問題はなかったと思う。私にとってブルベというのは,「制限時間を目一杯使って愉しむ長距離サイクリング」ではなく,「ある程度の苦しさを伴った長距離の無伴走個人タイムトライアル」という位置付けのようだ。昔,ニューサイクリング誌に掲載された戸田真人氏の佐田岬(鹿児島)から宗谷岬(北海道)までの 2664.3km のタイムトライアルの記事(ニューサイクリング,1987, 12 月号,1988, 1月号)を読んで,驚くと同時に感動した経緯がある。彼のようなチャレンジは無理としても,質的に同じような経験をしたいという思いがどこかにあったのかも知れない。そういった思いが,走っている途中の辛さのようなものを全て受け入れられた理由のような気もしている。いずれにしても,長距離走の愉しみの扉はまだ開かれたばかりである。

 最後になりますが,今回のコース設定から開催に至るまでの運営をして頂いた AJ 宇都宮およびランドヌール宮城のスタッフの皆さまに感謝致します。素晴らしいコースでした。あれだけ変化に富んだコースを設定していながら,きちんと 50km ごとに現れる PC は感動ものでした。また,素晴らしく完成度の高いコマ地図型キューシートでした。一人で,暗闇の山中でも全くミスコースすることなく走ることが出来ました。そして,途中一緒に走って頂いた土田さん,他の2名の方々(すいません。お名前訊くの失念しました)に感謝致します。さらに,すれ違った皆さん,同じ時間にコースのどこかで頑張っている参加者の皆さんからも力を分けてもらったように思います。加えて,素晴らしいライトを製作して頂いた西井さんにも感謝致します。電池切れの心配のない強力な光は夜間走行の際の大きな力となってくれました。以上,全ての方々に感謝します。ありがとうございました。

 あ,最後の最後に,ビールジョッキ片手に遠く米沢の地から声援(?)を送ってくれたチームホシのチームメイトにも,...取り合えず,ありがとうです(笑)。

 最後の最後の最後に,村上春樹の言葉を引用しておこう。彼が,100km マラソンを走っての感慨のようなものが記してある。それは,

『100キロを一人で走りきるという行為にどれほどの一般的な意味があるのか,僕にはわからない。しかしそれは,「日常性を大きく逸脱してはいるが,基本的には人の道に反していない行為」の常として,おそらくある種とくべつな認識を,あなたの意識にもたらすことになる。自己に対するあなたの観照に,いくつかの新しい要素を付け加えることになる。その結果としてあなたの人生の光景は,その色合いや形状を変容させていくことになるかもしれない。多かれ少なかれ,良かれ悪しかれ。僕の場合にもそのような変容はあった。』(「走ることについて語るときに僕の語ること」)

 「100キロ」を「自転車で600キロ」と置き換えてみても,まったく同じことが言えるだろうと思う。小さな一歩を踏み出せたことに感謝したい。

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 帰宅後は,ご褒美として,タンパク質(焼き鳥)とビール,さらに炭水化物としてパスタ大盛り(笑)。

2014年10月21日 (火曜日)

【過去記録】BRM925 宇都宮 400km 奥只見

 koji さんのブログで思い出した,数ある中でも印象に残っているブルベ。こっちに過去記録として再掲しておく。ちなみに,2010 年のことだった。紅葉だったら素晴らしいだろうなと思ったことを覚えている。紅葉の時期に,また,走ってみたい。今度は,天気のいい日に一泊二日くらいの日程で(笑)。

BRM925 宇都宮 400km 奥只見 完走記

2010年9月25日 am 1:30 Start ~ 9月26日 am 0:31 Finish (23 h 01 m)


「アヴァンチュリヲン進撃登坂:急+?」ブルベ

Map201008

 2002年に日本で初めて開始されるや,その圧倒的なスケールと認定を積み重ねていく構造で,
ブルベという枠を超え,サイクリストに一大ムーブメントをおこした認定記「ブルベ・ド・ランドヌール」。
それから8年,いまもなお増え続けるファンのために、今回大幅にスケールアップされた新たなコースが用意された。
 前編にあたる「序」,中編にあたる「破」は8月に連続開催。
そしてラストは後編にあたる"急"と"?"というタイトルが表すとおり,
いまだその運営スタイルは明らかでない完結編の400km。
人影無し,民家なし,洗い越し多しの酷道「樹海ライン」に2年前の1000kmの後半コースを重ねる。
「いったいどうなる? 驚きと興奮の400km。」from AJ 宇都宮 HP

Profile201008

BRM925 宇都宮 400kmのプロファイル(今はルートラボもトンネル対応なので多分実際の獲得標高も 6000m 程と思われ,..)

今シーズンの締め括りブルベ

 いよいよ今期の最終ブルベ。そして,多分今シーズンのブルベの中でもかなりきついコース設定に入るブルベ。AJ 宇都宮のスタッフで,かつ経験豊富な坂東さんをして『AJ宇都宮史上1,2を争う難コース』と言わしめるコース。そして「序破急」と銘打たれた山岳三部作の最終編である。

 そもそも「序破急」とはなにか? 大辞林によれば,雅楽や能,浄瑠璃などの構成スタイルを表す表現で,様々なところに使われるという。今回のブルベの「序破急」に関して,もっとも当てはまる解釈は,以下のようなものだろうか。

楽曲構成・番組編成・演出などの理念上の三区分。上演の時間経過に伴う趣向変化の典型を想定したもので、序・破・急は導入・展開・終結とみなせる。能・浄瑠璃の脚本構成、能の五番立の番組などがこの理念による例である。  
   

つまり,今回のブルベは「終結」を意味する。大団円を迎えるのか,あるいは奈落の底なのか,神のみぞ知るところ。今シーズンを締め括るための一本としてふさわしいじゃないかと,秋分の日の休日に一人コマ図を切り出して,ラミネート加工しながらつぶやいたとさ(笑)。でも,8月の塩原および日光山岳が,どういう意味で「導入」であり「展開」だったのかは,いまだナゾのままである(笑)。そして,愛称に付いた「+?」の意味もまたナゾのままである。今回のブルベを走り切ってみれば明らかになるんだろうか?

 ところで,出発前日に AJ 宇都宮のスタッフの方からのメールマガジンで,今回のブルベのコース設定についての裏話のようなものが届いた。主催者側の葛藤が感じられる文章であり,主催者の方々はコース設定に,そして参加者の安全に対して,ここまで考えているということをご理解頂くために一部転載してみる(不都合あるだろうか?要転載許可取得?もし,AJ宇都宮の方がこれを見て不都合ありと判断されましたらご一報下さい)

 実は今回のルートは、一昨年のコース申請時に一度AJに書類を提出していたのですが、国道352号の檜枝岐から魚沼にかけての区間が、住む人もほとんどいない秘境とも言える地帯であるということで、何度も逡巡した結果、最終的に申請を取りやめたという経緯があります。このコースはサイクリストとしては非常に魅力的なのですが、主催者として複数の参加者を走らせるとなると非常に勇気がいります。人は住んでいない、携帯電話も通じない、経路上の補給もほとんど期待できない、そんな区間が数十キロも続くのです。(中略)何かトラブルがあった時のことを考えると・・・。そんなコースを敢えて今年は開催しようと決断できた理由は、やはり昨年の夏の日光山岳ブルベの開催(しかも300kmの後の連続開催)の際に、参加者の皆さんの雄志に勇気づけられたということが大きいと思います。厳しい条件でも、厳しいコースでも、経験豊富なランドヌールなら心配なく自己責任でブルベを全うしてくれる。(以下略)  
   

 ブルベ開催に対する,真摯な気持ちが伝わってくる。ここまで考えて頂けたのなら,雨だろうが台風だろうが走らねばならん。主催者の気持ちに応え,安全に確実に距離を踏んでゴールせねばならんと固く誓ったのだった(笑)。

例によって準備編

 今回の使用マシンは COPPI 。COPPI に乗るのは,6月の 600km ブルベ以来だ。たしかにフレームは COLNAGO に比べてかなり重いし,太めのスポークと DT のリムの組み合わせの手組みホイールも重い。さらに,ハブダイナモを導入しているせいで,他のホイールの場合と比べて走行抵抗が増えているのは自覚できる。それでもこのマシンを使うのには理由がある。それは長距離のブルベだと,体調に応じて,ポジション(主にハンドルの高さ)をある程度変えたい場合があり,ボルトと臼タイプのステムを使っている COPPI の方が,ポジションに関する自由度が今風のロードレーサーに比べて高いからである。これまでもステムを 5mm 上げることで腰痛,肩の凝りなどが緩和して楽になったことが何度もある。200, 300km だと,我慢して勢いで走ってしまえるが,400km 以上だとかなりのダメージを受けることがある。加えて,アルミフレームとクロモリフォークの組み合わせが,どこか身体に優しい感じがしている。#知り合いは,「よくあんな固いフレームに,..」と言うけど。

 スプロケットは 16 - 27T を選択。レースではないので,平地では15T 以下を踏むことはないだろうし,降りでも脚を止めて休むのでやはり 15T 以下は必要なし。長い登りが何度も現れるコースでは,20T 付近がクロスになっている方が重要である(と思っている)。

 ライトは,自分としては最早定番の,匠光学(ハブダイナモ駆動)+ KingpowerK2(単3電池2本)の2本(合計6W)。暗闇の山間の道だろうとどこだろうと,この二つがあればまず問題なし。普段の夜間は匠光学一発で走っていて,降りなどで KingpowerK2 を点ける。

 天気予報によれば,24日の深夜から25日の午前中くらいは雨の確率が高い。しかも,数日前の猛暑日がウソのように一気に気温が低下して,秋を通り過ぎ,初冬といってもいいほどの気温になっている。平地でも低温,コースの標高が高い(1000 ~ 1500m が何箇所かある),そして雨とくれば,これまでも何度か経験している「寒」&「凍」ブルベとなってしまう。そんな訳なので,軽量で保温性に優れたウェアの組み合わせを考えていく。で,結果は,..

 昼間あるいは気温が15℃以上の場合:半袖アンダーに半袖ジャージ,アームウォーマーにレッグウォーマー,指切りグローブ
 夜間あるいは気温が10℃以下の場合:ウィンドブレーカ,指付きグローブ(XCスキー用の奴),長袖アンダー,裏起毛の長袖ジャージ
 雨の場合:ゴアの雨具の上だけ(下はコンビニで購入),足元はビニールの買い物袋+ビニールテープによる簡易シューズカバーで対処

 これらを適宜組み合わせる。これらのウェア類に加えて,携行するものは,乾電池(単3×6,単4×2),塗り薬,痛み止め(ロキソニン),予備チューブ2本,携帯工具,携帯工具とは別のアーレンキー数本(4, 5, 6mm),携帯ポンプ,パンク修理用のパッチ,ガムテープ(2m ほど他のものに巻き付けたもの),ビニールテープ,レジ袋数枚,タオル,補給食などである。特に,今回は補給食調達不可能区間がかなりあるので,そこそこの量の補給食を携帯する必要もある。そうなると,シートピラーバッグでは流石に容量不足なので,ザックを背負うことにした。上記の荷物を詰めてみれば,約3キロ程度だろうか。背負っていてもギリギリ負担にならない重さである。

 さて,出来れば9月24日の金曜日は仕事をお休みして,午後からたっぷりと睡眠を取るのがベストだったが,世間はなかなかそれを許してくれない。が,せめてもの抵抗として4時頃に退出して(裁量労働制万歳!),最後の準備を済ませてから,軽く食事をして6時頃に少し横になってみた。こんな時間にはなかなか寝付けないが,それでも30分程眠ったらしい。その後はウトウトしては覚醒を繰り返し,結局7時半頃には起き出した。今回も出走前の仮眠は失敗。実質的な睡眠時間としては,いいところ40分くらいか。400km 以上のブルベでは,出走前の仮眠が十分に取れるかどうかは,走行時の後半のパフォーマンスに大きく影響する。これまで何回か同じ経験をしている訳だが,夜スタートのブルベで出走前の睡眠をうまく取れたことは2回くらいしかない。で,経験的に,「ああ,どっかでスイマの猛攻撃がくるんだろうなぁ,..」と,コースのきつさや天気の崩れよりも,そのことの方が憂鬱の種になる。眠くさえならなければ,雨が降ろうが坂ばかりだろうが,なんとかなる(はずだ)。

 8時半頃に,例によって市内で pokky 氏をピックアップして,東北自動車道を一路宇都宮へ。今日は平日だが,高速料金は千円だ。これは助かる。バカ話に華を咲かせつつ,今度はちゃんと宇都宮 IC で降りた。が,出口を間違えてまた余計な距離を走ることに。どうも,車の運転は(も?)苦手だ。今度からちゃんとナビを機能させておこう。

 途中のコンビニで補給食を買い出しして,スタート地点の宇都宮森林公園に到着したのは11時40分頃。既に,かなりの数の参加者が集まってきている。@HEIZOSUN,楽山さん,masa(茨城)さん,S@石巻さん,K田さんなどとご挨拶。へばなさん,K関さんは少し遅れて来た。そして,今回初めて言葉を交わした方が,@atkamano さん。今月初めの千葉ブルベで落車して親指の靭帯を傷められたものの,先だっては恵庭 600km に参加して完走された強者。もう,指の方はほとんど大丈夫らしい。同じように5月に落車して右手親指靭帯を傷めたナデラ男の方は,いまだに長い距離の後は痛む。

Start 9/25 am 1:30 ~ PC1(ココストア会津高原店)76.2km, 9/25, am 4:53

 スタートは午前1時半の予定。このスタート時間は,樹海ラインと六十里越を明るい時間帯に通過してもらうためらしい。

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 1時頃からブリーフィング

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ここら辺はとても一緒には走ることの出来ない特急強者グループ。リクイガスジャージが HEIZOSUN

 上空には雲が掛っているものの,幸い,まだ雨は落ちてきていない。気温は14℃程度とウェア選択が難しい状況。上は,半袖インナーと半袖ジャージにアームウォーマにして,レッグウォーマをどうするか悩む。HEIZOSUN はしっかり着用。現状ではなくても走行可能ではあるが,.。迷った揚げ句に途中で着ける面倒さを回避するために着用する。結果的に正解だった。出走者は40名前後なので,今回は一斉スタートらしい。1時半になって一斉にスタート。

 もう,最初からゆったりペース。速い方々は鶴 CC の丘を跳ぶように駆け上がって,テールランプの幻想的な赤い光の筋を残し,あっという間に見えなくなった。

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 R293 から県道22に入り,鞍掛トンネルを越えて集団は進む。県道279から,やがて R121 へ。台風の影響で結構強い向かい風が吹いている。時折,風が巻いて,ひどい場合にはホイールがあおられる。前方には赤いテールランプがいくつか見え,後方確認で,後ろを振り返ると何台もの自転車の強烈な前照灯の光が揺れていて,一種独特の雰囲気を醸し出している。夜中の2時過ぎである。時折抜いていく車の運転手に,「一体,なんの宗教団体だ?」と思われても仕方あるまい(苦笑)。

 鬼怒川温泉,新藤原,川治温泉を経由して,やがて五十里ダムへの登りに掛かる。この辺りまではS@石巻さんとご一緒した。山王トンネルへの登りで離れたような,..中三衣辺りで先行していたK田さん,K関さんをパスしたような,...地理に関しては定かではないけれども。

 途中,かなり多くの車に抜かされる。こんな夜中にこいつらどこに行くんだと自分のことを棚に上げてブツブツとつぶやいていたが,PC1 でその理由判明。釣りだ。渓流釣りのシーズンは9月一杯まで。そんな訳で,まだ真っ暗な早朝ならぬ真夜中に現場に急ぐ車が多かったというのが理由らしい。

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国道だんご3兄弟の県境の山王トンネル(生憎,トンネルは写らず)

 五十里ダム付近から,時折水滴が顔に当たっていた。山王トンネルまでの登りに掛かった頃からはっきりした霧雨状になり,トンネル手前辺りから,次第に小雨になり,トンネルを越えたら激しくはないものの本降りになった。トンネル出口から眺める先の道はハードウェットで,よほど停車して雨具を着けようかと思ったが,まあ,直ぐに PC1 だからと,そのままで降りに入る。が,雨足が本格的になり,路面からの跳ね上げでシューズも濡れてきた。結局,結構濡れた状態で PC1 のココストアに到着。途中の電光掲示板の温度計の表示は9℃だった。冷えきる前に辿り着いたのだが,かなり寒い。先行きが案じられる展開である。

 PC1 には椅子とテーブルのある休憩スペースが設置してあり,テーブルでは参加者が食事をしたり,食事を終えた参加者は,これからの低温&雨中走行に備えて,ウェアを着込んだりしていた。こちらもパック寿司,カップラーメンなどでいつもに比べれば多めの補給を済ませて,上にゴアの雨具を羽織る。グローブは指付きの初冬や春先に使用するものに換える。そして,レジ袋+ビニールテープという最強コラボの簡易シューズカバーを作成。さらに,PC2 の御池からの降りでの冷え込み対策に雨具のズボンをコンビニで購入しておく。が,これから中山峠までの登りに掛かるので,ペダリングの抵抗になるカッパの下はまだ履かない。結局,PC1 で30分以上ウダウダと過してしまった。

PC1 ~ PC2(山の家 御池)140.1km, 9/25, am 8:50(?)

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雨ですよ,...シトシトピッチャン

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9℃ですよ,..ブルブル

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これが最強コラボの簡易シューズカバーだ!(笑)

 スタートして少し降り,会津鉄道(野岩鉄道?)の線路を潜り,左折して,R352 に入る。降りは猛烈に寒い。半泣きになるほど。震えながらの走り出し。R352 を中山峠を越えて桧枝岐に至るルートは昨年も走ったところ。まずは,標高 1000m ほどの中山峠を目指す。前の方に,K関さん,K田さん,女性の参加者が走っている。峠への登りの途中でパスした。トンネルまでの登りは一部少しだけきついところもあったが,まあ,登りの偏差値50くらいかな(笑)。ただ,雨具を付けてのヒルクライムは,...暑い。登っているときは,雨具,ジャージの前面をフルオープン状態。吐く息が白い。

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中山峠(トンネル)。旧道は今もかろうじて通れるのかな?

 どのトンネルも中は暖かい。トンネルというのは夏涼しく冬暖かいところだ。トンネルを抜けて降りに入る。この辺りで雨は小降りになり,なにやら気分もマッタリしてきて,少々眠くもなってきて,唄を歌いつつノンビリと降る。降りにも係わらず,速度は 20km/h 台。降り切ったところで,R401 との合流点に到達。伊南川の写真を撮っていると,K田さんが追い付いてきた。左折して桧枝岐方向に向う。PC1 を先に出発して先行していたS@石巻さんを,ここでパスする。

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伊南川の流れは今年も変わらず清冽だ

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屏風岩

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 桧枝岐の集落に入る。集落に入る手前辺りで携帯が鳴った。おおえ,ねもと,オヤジから次々と熱烈ガンバレのTELを貰い,真っ白な息を吐きつつ感涙にむせぶ。メーターの距離数が涙でぼやけた(ウソだよ)。この辺りは,昨年からで3回目。自転車で2回,車で1回来た。もうマッタリ気分で,周囲をキョロキョロしつつ走る。前にも後ろにもブルベライダーは見えない。墓地が家々の間の空き地スペースに納まっている。山の斜面とかでは,雪が深くて墓参りもお墓の維持管理も難しいからだろう。そして,墓標に刻まれた姓は,ほとんどが「星家」,「平野家」,そして「橘家」だった。

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桧枝岐地区の住人の姓は,星,平野,橘でほぼ9割くらい?

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本当に,この辺りは面白い。セイロウ作り板倉だそうだ。

 渓流釣りのシーズンが直に終わりとあって,桧枝岐の民宿には渓流釣り目当ての客が多数泊まっていたようだ。早朝にも係わらずに,何人ものオッサンたちが玄関前で活動を始めている。川にも,カッパ姿で水辺に佇む釣り人多数。ミニ尾瀬公園の辺りで,結構大きなサイズのイワナとみられる魚を釣り上げる場面を見た。

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昨年はこの辺りから正面に燧ケ岳が見えたように思うんだけど,今日はちょっと残念

 キリンテを過ぎて,人家も途絶えると,やがて七入から本格的な登りが始まる。桧枝岐の七入オートキャンプ場から標高差440m,距離 6.7km のヒルクライム。平均勾配で 7% 弱というところか。先は長いので,ギヤを軽めにしてあまりしんどくない状態で進む。それでも,九十九折りのコーナーなどは 10% オーバーの箇所もあり,楽に登っていけるものではない。それなりに消耗した状態で,なんとか PC2 の,今日のチマコッピ(最高標高)の御池(1500m)到着。

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登りの途中にある「ブナ坂の清水」。ここで水を補給。美味い!

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AJ 宇都宮の飯塚さん。寒い中,有人PC お疲れさまです。

 コマ図による指定では,ちょっと奥に入ったところの「山の家 御池」が PC2 だったが,実際には駐車場への分岐のところにスタッフの車があり,そこが有人 PC だった。AJ 宇都宮の飯塚さんがおられた。寒い中,お疲れさまです。

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山の家 御池

 下の桧枝岐で気温 8 ~ 9℃だったので,御池での気温は5~6℃。ヒルクライム中は暑くて,大分汗をかいたが,あっという間に汗が冷えて震えが来るほどの気温。あんパンを一つ補給する。ザックには,まだ菓子パン,おにぎり2コ,羊羹などがわんさと入っている(笑)。スタッフの鈴木さんが山の家の方から来られて「モンベルショップがあるので,お金さえあれば防寒装備とか,なんでも揃いますよ」と。雨にも風にも負けずにガンガン走る折れない心は,やっぱり,プライスレスでしょうね(笑)。

 結局,山の家には立ち寄らずに,コンビニで購入しておいた雨具のズボンを着けて,いよいよ今回のブルベの核心部分の奥只見の樹海ラインへと向う。これだけの台数の自転車が一度にここを通過するのは多分有史以来初のこと(と思う。笑)。

PC2 ~ シークレット PC(銀山平),9/25, am 11:30 (?)

 最初にほんのちょっと(1km 弱)だけ登る。そして降る。降りに入れば,寒い,寒い,さむ~~~い。指付きのグローブでさえ指先の感覚があっという間に無くなった。顔が強張って,頬が,耳が痛い。寒さにガタガタ震えながらのダウンヒル。しかも,激しくはならないものの雨は降り続く。時折対向車が来るし,道は濡れているので滑りそうで,そうそう飛ばすことも出来ない。さっさと降って標高を下げて少しでも体感気温を上げたいところなんだが。

 こうした状況で走っているときに頭に浮かぶのは,過去に同じような経験したときとの比較。あの時よりは,まだマシだと思えると心に余裕が生まれる。最悪を経験すべしということか。それにしても,関東付近は三日前には猛暑日だったというのに,..気温差 30℃ってのは考えてみれば凄い。

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 何とかいう蕎麦屋が営業中だった。この隣に別荘風のログハウスがあり,おじさん数人が釣支度をしていた。蕎麦屋の写真を撮っていたら,おじさんの一人が「撮ってあげようか」というが,自分の写真って嫌いなので,丁寧にお断りした。「何台か自転車が通ったけど,なにか大会でもやってるの?どこから来たの?どこまで行くの?」という質問には,「長距離サイクリングのイベントです。宇都宮を夜出て,これから魚沼を通り,六十里越で只見に抜けて,そこから南会津を経由して宇都宮に帰ります。大体 400km くらいです」と応える。おじさんたちが,人間でないものを見る目になるのが面白い。「釣れますか?」と訊くと,「以前ほどには釣れないね」という返事。なにしろ,ここから先の道端のスペースの至るところに釣り目的とみられる関東ナンバーの車が停まっていた。流石の只見川もあれだけ釣り人が入渓したら魚影も薄くなるだろう。おじさんの一人が,「ここから先,小さめのを入れて峠は3つかな。じゃ,気を付けて」という言葉を背に先を急ぐ。うん?3つ?峠って,枝折峠だけじゃないの?#甘かったY

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 ここが福島県と新潟県との県境も金泉橋。御池から約 12km の距離。

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 橋から只見川上流を望む。昔なら,尺を越えるイワナなど,腐るほどいたんだろう。

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 これが噂の洗い越しである。樹海ラインには,こうした洗い越しと呼ばれる,道路上を沢が流れている箇所が無数にある。道路に橋を作り,沢が道路下を流れるようにするのではなくて,沢水をそのまま道路上を流すのが「洗い越し仕様」である。土石流や流木で橋の下の空間が閉鎖されることが多いためだろう。ここのところ結構雨が降っていた割りには,水量は少ないように思う。ザーザー流れていて,ホイールが流れに押されて転倒したらどうしようなんて考えていたが杞憂だった。これ以降,うんざりするほどお目に掛かるが,最初に見た時はもの珍しさが優先して,写真を撮る。

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洗い越しは全て沢で,そのほとんど全てに名前が付いていた

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人家なし,人影なしというが,所々にこうした家がある

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既に廃屋になっている家も多数

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ここは人が住んでいる感じ。この辺りの雪の量を偲ばせる構造だ。

 この辺りで,途中で写真を撮っているときに先行されたK関さんに追い付いた。K関さんが洗い越しを突破する様子を後ろから撮影してみた。

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洗い越しを突破するK関さん

 しかし,こんな洗い越しよりも何よりも気を付けなければならないのが対向車。関東圏のナンバーの車が,結構頻繁に走っている。しかも,どれもかなりのスピードで道幅を目一杯使って走るものだから,対向車や後続車には結構気を遣う。

 しばらくK関さんの後ろに付いて進む。ふと脇をみれば,向い側の山の斜面にはこれから走るべき道が見える。こういう雰囲気は嫌いじゃない。いや,むしろ好きな方。で,停車して写真撮影。雨も上がって,雲も切れ始めてきたようなので,ここで雨具の上下を脱いで,上だけウィンドブレーカにして身軽になる。ついでに,道端で立ちションして軽量化。

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これから走る道が向こうの山の斜面に見える

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で,先ほど撮影した場所が対岸の斜面に見える

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これが二つ目の「越」のピーク。一つ目はたしか「恋ノ岐川越」だったような「恋ノ岐越」だったような。

 この辺りから,とても下り基調とは呼べない道になった。細かなアップダウンがこれでもかと繰り返される。例えてみれば,30m 降る前に,必ず 20m の登りがあって,ワンセットとして結果的に 10m降るという感じだ。さらに「プチ峠」と呼べそうな「越」と言われる小ピークがいくつかあって,かなり消耗させられた。結果的には降るのだが,こうしたアップダウンに次第に脚が削られていく。

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急峻な山の斜面は雪崩で削られるのか,山肌が露出しているところ多数

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奥只見ダム(銀山湖)

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雨池橋(多分)から見た上流の様子

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洗い越しの手前にある注意標識

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で,洗い越し。一体いくつあったのか?

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沢の名前の標識には県境からの距離と銀山平までの残り距離が表示されている

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 これが3つ目の「越」の神峰。ここで新潟ナンバーの車に乗った親子連れ(ご両親と娘さん)とちょっと会話。ここでも 400km という距離に目を丸くされる。

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電灯が一つもない真っ暗闇のグミ沢トンネル。もっとトンネルがあるかと思ったけど,これ一つだけ。
通り抜けた後で撮影。ダム湖側に塞がれた旧トンネルがあるらしい。

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銀山平の手前で見た,工事用の資材運搬用のヘリ。こりゃ,道路工事も高く付くわ。

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 銀山平のシークレットPC には,坂東さん,井坂さんが待機。みそ汁をご馳走になり,手持ちのおにぎりを2コ食べる。しばらくすると途中で抜いたK関さん,S@石巻さんが到着。他数人の参加者も到着。晴れて来たので,グローブを指切りにして,ウィンドブレーカを脱ぎ,さらにレジ袋の即席シューズカバーを外す。

シークレット PC ~ PC3(セーブオン湯之谷吉田店)216.5km, 9/25, pm 1:29

 S@石巻さんと一緒にスタート。しばらく降って,石抱橋を渡って,いよいよ枝折峠の登りに掛かる。S@石巻さん,他2名と一緒に登った。勾配は急ではないものの,標高差 300m,距離おおよそ5キロほどの登り。まあ,何ということもなく登り切った訳だけど。

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途中に長いスノーシェッド(ロックシェッド?)

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枝折峠頂上からの尾瀬方面(だったと思うけど)の山々の眺め

 枝折峠頂上には,駒ヶ岳の登山口があるそうで,かなり多くの登山者がいた。駐車場は満杯。で,降車して写真を撮って,後続を待っていると,同じ質問。ここでも,午前1時半出発,走ってきたコース,400km という距離に驚かれること頻り。一人のおじさんは「トライアスロンで自転車で 190km は走ったことあるけど,..」と。お,フルのアイアンマンディスタンスですね。そっちの方が凄いです。おじさんおばさんの「気を付けて!」の言葉を背中に受けて,なかなか来ないS@石巻さんを待たずに降り始める(ゴメン!)。

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降りの途中で見たナラ枯れの様子。かなりひどい状態だ。

 単調で長い降りを降っていると,次第に眠くなってきた。樹海ラインを降り終えて,街中を走行中にえらく眠くなってきた。コマ図では,湯之谷の市役所から脇道に入って PC3 に向うように指示されているが,眠くてボケーッとしてて,指示された曲がるポイントを通過してしまうこと数回。別段,入り組んだコースでもないのに,ウロウロしてしまった。正規ルートに復帰して,なんとか,PC3 の魚沼郡湯之谷に到着。

 プチミスコースでウロウロしているうちにS@石巻さんの方が先に PC に到着していた。K関さんも補給中。そろそろガッツリと補給を摂るべきだろうと,カレーの大盛りとおにぎりなどを食べる。

PC3 ~ PC4(只見ショッピングセンター)278.1km, 9/25, pm 5:27

 ここから県道 70 の細かいアプローチを経て,R252 へ。県道70って,R252 の川向こうとか線路向こうとか走っている道らしい。途中,えらく辺鄙なところを走るものだから,ちょっとばかりミスコースの心配をしてしまった。コマ図 No. 36 で「ショッピングセンター マルカ」というところで,R252 と合流するが,県道70を走っている時点では,「こんなところにショッピングセンターなんてあるのか?」と思っていた。が,実際には「これがショッピングセンター?」という規模の店だった。田舎の雑貨屋という表現がむしろ正しいと思われる。この辺りは入広瀬の手前。

 で,R252 を六十里越に向って走り始めた訳だが,どうにも眠いし,怠いので,ハンガーノック(さっき食ったばかりなんだが)を心配して,道の駅・いりひろせでコーラとクリームパンで小休憩。ここで午後3時である。まだ,走行距離は 240km 程。かなり,遅いペースだ。

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以前に木島平まで自走したときにも立ち寄ったことがある道の駅・いりひろせ。なんか,客が少ないようだった。

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補給ちう

 補給を終えたので出発。道の駅の先で橋の工事のための迂回路に入る。この道で大丈夫なのかと思いつつ道なりに走っていたら R252 に再び合流。

 これから先,いよいよ R252 の六十里越に掛かる。が,どうにもこうにも,やたらに眠くなってきた。あまりの眠さに足付き数回。ミンティアを放り込むも瞬間的な効果だけ。仮眠を取るような場所もないので,その後も眠さでスピードダウンしつつ,テレテレと走っていると,後ろから声を掛けられた。

 以前に匠光学のライトを知るきっかけになった千葉の方(ラルさん)だった。前に一度,一昨年の宇都宮 1000km のスタート直前にご挨拶頂いたことがあっただけなので,お顔を失念していて失礼しました。実は,今回(いつも?)使っている,匠光学 + Kingpower K2 ともにラルさんに教えて頂いたもの。今回ラルさんとは,ライトシステムは全く同じ。いわば,ブルベライトの師匠(笑)にお声掛け頂きました。改めて自己紹介などして,いろいろと,話をしながら登る。

 先だっての,宇都宮テイストの千葉 600km ブルベ(喜多方)はラルさんがコースクリエートですか?と訊けば,そうだとのこと。やっぱり(笑)。宇都宮テイストが濃いのでそうではないかと思っていました。さらに,ハブダイナモと匠光学のライトのこととか,一昨年の宇都宮 1000km で六十里を越えたときの豪雨のこととか,来年の PBP のこととか,いろいろと話すことが出来て,お陰で眠気も去って,退屈で長い登りをこなすことが出来た。感謝です。それにしても,ラルさん,400km という距離を走るとは思えないほどの軽装。ザックもバックも何もない状態。ロングライドの達人という雰囲気。

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こういったスノーシェッドとかロックシェッドとかが次々と現れる六十里越

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右側に只見線の線路が走っている

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只見線の線路。この先でラルさんに声を掛けられた(と思う)。

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ここが県境のトンネル(六十里越トンネル)で登りはほぼ終了。標高は 800m 弱

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福島側の長いスノーシェッド(田子倉駅の辺り?)

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向の山の斜面も雪(氷河?)に削り取られたような感じ

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田子倉ダムは夕暮れ時でなかなかの景観

 ライトの全くないトンネルが3本ほどあった。こうしたことが時々あるし,対向車への注意喚起にもなるので,今回は匠光学を常時点灯させている。なので,常にわずかの負荷が余計に掛かっている状態。気になるほどではないけど。

 田子倉湖の駐車場を過ぎれば,あとは只見の町まで降るだけ。夕暮れが近づいてきた。只見駅のところから R289 の沼田街道に入る。しばらく走れば PC4 の只見ショッピングセンターに到着。ラルさんと店内を物色するものの何も欲しいものがない。バナナか?でも,こんなに沢山いらないし,.。10分程店内をうろついて選んだものは,お総菜の揚物(笑)。ササミフライにソースをドバドバかけたものをもしゃもしゃと喰らった。これで蛋白質,脂質,塩分を一挙に摂取(笑)。

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PC4 の只見ショッピングセンター。写っているのがラルさん

 補給が終った頃に,4~5名のブルベライダー到着。S@石巻さんもいる。この中のどなたかがツイッターでつぶやいていた。その時の画像を頂いた。なんでも,同じ色の COPPI が他のブルベで目撃されていたとか。同じ COPPI に乗っている方にはお目に掛かったことがないので,一度お目に掛かりたい(笑)。

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PC4 でのマイ COPPI。奥はラルさんのスペシャ。

PC4 ~ PC5(セブンイレブン会津田島新町店)330.7km, 9/25, pm 8:46

 PC4 からは再びナイトランの準備。気温が下がってきたので,ジャージを裏起毛の冬物に換えて,グローブも指つきにするが,それでも寒い。しばらく進むが,いよいよ睡魔の攻撃に耐えられなくなり,トンネルの入口の道端で体育座り。ほんの一瞬意識が飛ぶと,その後の40分程が楽になる。で,これを繰り返すことでなんとか安全に走行できる。前の 600km のときに身に付けた「瞬間睡眠法」である(笑)。瞬間睡眠中に,ラルさんが先行していった(様子)。

 しばらく走るとラルさんに追い付いた。そのまま先行する。R289 のきらら 289 を過ぎたところから,駒止トンネルまでの標高差 400m,距離 8km のヒルクライムにはいる。

 実は,PC4 を出て,この辺りまで 30km 近い距離があるのだが,どんなところを走ったとかいう記憶がほとんどない。コマ図 No.46 - 49 に相当する箇所だけど,こういったところを走ったような走らなかったような,..。それだけ眠くて夢現つ状態だったということか。それでも,ミスコースしていないのは,AJ 宇都宮のスタッフの作成するコマ図の秀逸さ故か。

 昨年の記憶を頼りに,駒止トンネルまで,真っ暗な中セッセと登るが,ここも眠くて倒れそうだった。3回ほど道端にへたり込んだ。道路工事の飯場の階段に腰掛けて瞬間睡眠&補給。ここでラルさんに追い付かれて,あとはランデブー走行。で,なんとかトンネルを通過。トンネルまでの道のりの記憶が,なぜか甲子トンネルの情報(記憶)と混同しており,あれ?こんなところだっけ?という感じ。ここも標高が 1000m 近いし,今度は晴れたせいで放射冷却でかなり冷え込んできた。一刻も早く下ろうとしていたところに,オヤジから着電。ラルさんに先行して頂く。今回のタイムロスのひとつの原因かも(笑)。

 降って,平地を PC5 に向っているときに,右車線にタヌキ発見。逃がすつもりで「こらこら!」なんて声を掛けた途端に,何を思ったかタヌキがこちらに突進。前後輪の間に入って,チェーンリングとクランク辺りがタヌキにハードヒット&後輪乗り上げ(?)。確認はしなかったけど,「タヌキ,轢いた~~!」ということに。あとで,PC5 に入ってきた参加者に訊いてみれば,「タヌキの死骸がありました」と。特定は出来ないが,ひき殺した可能性がある。まあ,pokky 氏のように「タンタン落車」に至らなかったのは不幸中の幸いだが,いくら狸とはいっても,少々寝覚めが悪い思いをした。

 PC5 のセブンイレブンでは,寒い戸外で補給して,ラルさんと一緒に出発。そういや,ラルさん,どこかの見ず知らずのおばあさんからお萩を頂いていた。コンビニの駐車場に座り込んで飯を食う我々がよほどひもじそうに見えたのかな?

PC5 ~ Goal(日光杉並木YH内コテージ)405.4km, 9/26, am 0:31

 一旦休むと走り出すのがイヤになるほど寒い。会津鉄道の線路を潜ってからは山王峠までの登り。朝(?)来た道をまた戻る。まあ,勾配も緩いので時間の問題。が,退屈だ。アニソンなどを歌いつつ進む。この辺りでようやく眠気は醒めた。後ろにいたはずのラルさんはいつの間にかいなくなっていた。後で訊けば,道の駅で寝ていたとのこと。全くの徹夜状態だったらしい。

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山王トンネル

 空には満月に近い月が煌々と輝いている。五十里ダム付近も雰囲気や由。ブルベでのナイトランを初めて経験した頃には,心細くてかなわなかったが,深夜にこういう場所を一人で走行することにもすっかり馴れてしまって,今では何にも感じなくなってきた。時折,わざとアップライトにする人間のクズのような運転者もいて,イラッとする。

 しばらく行くと前方に参加者発見。後輪が奇麗に光っている。K関さんだ。一旦パスされたK関さんに再び追い付くことは,これまであまりなかったことなので,今回は彼はちょっと調子が悪いのかも。川治温泉辺りからは,残りの距離がやたらに長く感じた。少々,自転車走行自体に飽きてきたのかも知れない(笑)。夜間は景色も見えないので基本的に退屈だし。

 そんなこんなで,東の空に上がってきたオリオン座を眺めつつ,日付が変わって30分でようやくゴール。23時間だった。実はゴール地点のユースホステルへの入り口でミスコースしたのはご愛嬌(笑)。ゴール場所がユースホステルのコテージだったので,そのまま明るくなるまで,そこで仮眠。

明けて,翌日

 起床は4時頃。畳みに雑魚寝の2時間半。正直疲れは取れない。部屋には,masa さん,K関さん,S@石巻さん他,多数の参加者が,ゴロゴロとマグロ状態(笑)。masa さんとコーヒーなど頂きながら,スタッフの方々とポツポツと会話。明るくなってきた5時頃に他の参加者,AJ 宇都宮のスタッフの皆さんに挨拶して,コテージを撤収して,スタート地点の宇都宮森林公園に向う。晴れた朝の放射冷却で気温は一桁。寒い。森林公園までは途中一つ丘越えのある約 15km だ。ま,短いが快復走代わり。脚は比較的よく回る。最後の鶴CC の 17% の激坂は汗をかきたくなかったので,34 x 27 のスーパーローでチンタラ登る。それでも呼吸は荒くなり,汗はじんわりと浮かんできたけど。

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masa(茨城)さんとS@石巻さん

Kaihukusou

S@石巻さんとナデラ男(撮影:masa(茨城)さん)

 昨夜の9時半頃にはゴールした,スーパー速いグループの pokky 氏は,オイラの車で車中泊だったようだ。で,目覚めた pokky 氏と再会。昨日の PC1 で出て行くのを見送って以来である(笑)。寒くてよく眠れなかったとか。朝帰りしてしまって,すいません(笑)。コテージで仮眠を取ってもらっているのがベストでしたね。打ち合わせ不足でした。

 着替えて,荷物の整理をし,帰り支度が済んだ後で,駐車場で,AJ 宇都宮のスタッフのS藤さん,masa さん,S@石巻さん,pokky 氏と小1時間程駄弁って,アフターブルベを愉しむ。来年の BRM 予定などについて少しだけ情報を聴き出す(笑)。まだ詳細不明だが,雰囲気的に厳しいコース変更になるような予感も,..。実に面辛ろそうだ(面辛ろい:おもつろい)。ではでは,家に帰るまでがブルベですので,道中お気を付けてと7時過ぎに別れる。

 途中,スイマの攻撃を高速の SA での仮眠でかわしつつ,最後にかわし切れなくなった部分は pokky 氏に運転を代わってもらったりしつつ,11時前に無事に帰米。これでナデラ男の,今年のブルベは終了である。

最後に

 AJ 宇都宮のスタッフの皆さまには,今年1年,本当にお世話になりました。いくら感謝しても感謝し切れません。もう,来年のブルベカレンダーは提出済みとのことで,そのコースについて,ほんのちょっとだけ教えてもらいました。今から楽しみです。来年も宇都宮中心になるかも知れません(宮城にももう少し参加しないといけないけど)。何卒,よろしくお願いいたします。

 また,この1年のブルベ参加を通して,知り合った方も大分増えました。ブルベでは単独走であっても,ああ,あの人は今頃コース上のどこを走っているのかな?あの人はもうゴールしてるだろうな,等と考えながら走るので,単独走の寂しさもありませんでした。皆さんとは来年もまたブルベ会場で笑顔でお会いできることを願っております。それでは皆さま,よいお年を迎え下さい!(笑)

FIN

2013年6月17日 (月曜日)

【過去記録】帝釈山ピストンツーリング(林道 飯豊・桧枝岐線)

 ふつうのパパさんのコメントで思い出したのが,以前に意識せずに走っていた「林道 飯豊・桧枝岐線」の一部。2010年10月11日(月)の桧枝岐のオフロードソロツーリング。折角なので,以下に転載しておく。

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ルートラボへ。馬坂峠手前でルートが消えているので直線近似(笑)。なので,少し短い。

 昨年から,ブルベで2回,ドライブで1回の都合3回,桧枝岐などの南会津を訪れている。以前から,この辺りに関しての話は聴いていたが,昨年の宇都宮 400km ブルベで初めて訪れて以来,意識の中に何かが強烈に刷り込まれた。そして,暇があればツーリングマップルで南会津周辺を眺めるようになってしまった。世間では,こうした状態を「病気」と呼ぶこともあるようだ(笑)。

 ある時,以前に走ったブルベコースを地図上でトレースするうちに(時々こんなことをする。コマ図のポイント間の繋がりを有機的に補間する目的で),コースの周囲の面白そうな場所,道(林道)が目に付いた。当初,なんと読むのかわからなかった「木賊温泉(とくさおんせん)」,桧枝岐から栃木県川俣に抜ける 2000m 近い標高のオフロードの峠,などなど。ブルベシーズンも終わり,これからファンライド三昧に移行するつもりなので,この辺りをマウンテンバイクで走ってみたいとずっと思っていた。で,この連休最終日にようやく決行することにした。

ミッション:木賊温泉から桧枝岐を経由して馬坂峠まで登り,さらに帝釈山山頂を踏んだ後,栃木県川俣に降り,さらに田代山峠を越えて再び木賊温泉へ!

 なにやら,一段小さい文字で書かれた「ミッション」。上記走行計画を達成するためのスケジュールは,2時半起床:3時半前にスタート:木賊温泉到着7時前:7時半にはマウンテンバイクスタート:9時間掛けて午後4時半には木賊温泉着:一風呂浴びて,5時半には帰途に就く:だった。当日の朝,ふっと自然に覚醒。部屋は薄暗い。うん?真夜中に近いから真っ暗なはず,..。目覚まし時計は,なぜか離れたところにすっ転がっている。時刻を確認すると4時45分。ああ,やっちまった。これから準備してスタートしても約2時間の遅れ。この時季,2時間の遅れは致命的だ。さて,どうするか。これはもう今日のミッションを変更するしかない。ということで,...

ミッション変更:木賊温泉をスタートして帝釈山山頂まで自己の力だけで往復せよ!

 気を取り直して,5時半すぎにスタート。雨がまだわずかに残っていて,路面はハードウェット。天候の回復が予報よりも遅れているようだ。雲の切れ間から青空が覗いている箇所もあるので,次第に回復するだろう。セブンイレブンで地図をコピーして,さらに補給食を仕入れる。その後はナビに任せて R121 をひた走る。が,所々では,下の写真のように,空白地帯も走行する。ここは R121 の新道部分。

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 ああ,この道は一昨年に自転車で走ったなぁと思いつつ芦ノ牧温泉通過。塔のへつりやら大内宿辺りは朝からそれなりの混雑。田島から R289 で駒止峠を越える。ここも2週間前に自転車で走ったなぁ。R352 を走り,8時半すぎに目的地の木賊(とくさ)温泉到着。民宿のおじさんに夕方まで車を置いておける場所はないか?と訊けば,公衆浴場の駐車場があるよということで,「広瀬の湯」の駐車場に車をデポ。早速,準備を始める。

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木賊温泉の公衆浴場「広瀬の湯」の駐車場にある看板

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駐車場の道を挟んだ向い側にある鄙びた公衆浴場「広瀬の湯」

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車のデポ場所を訊ねた民宿の軒先のKOGA & Look

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六輪車?(笑)

 クマ除用の特大カウベルをサドル下に取りつけ,補給食やら換えのウェアやら工具類など約4キロほどの重量になったザックを背負い9時にスタート。ソロ走行なので,いろいろと考えて荷物が結構多くなってしまった。一泊のビバークが可能なくらいの装備が入っているのである(苦笑)。ただ,走行用のライトを忘れてきたのは失敗だった。朝,ロードから外して持っていかなくちゃと思いつつ,寝坊のバタバタでつい失念したのだった。気温は16℃くらいなので,長袖インナーに半袖チームジャージ,レーパンにレッグウォーマーだけ。

 スタートして,まず,木賊温泉の集落を抜ける。道沿いの数百メートルの間に30軒ほどの民家(民宿が多い)が並ぶだけの小さな集落だ。開湯は1000年程前で,会津の隠れ湯だったらしい。鄙びていて,どこかホッとさせられる風情がある。桧枝岐もそうなのだが,木賊温泉の集落でも,民家と民家の間に墓地がある。そして,やはり,圧倒的に多いのは「星家」と「橘家」。あるところなどは,道の左側に「橘家」ばかりの,右側に「星家」ばかりの墓地が向かい合っていた。「橘家」対「星家」かと,思わずつぶやいた。

 事前にコースプロフィールなどを調査しなかったが,ひとつ峠を越えて桧枝岐に降るということだけは確認していた。が,まさかあれほど登るとは,...。帰宅後確認したら,スタート地点が標高774mで,途中にある小繋峠のトンネルは標高 1344m で,そこまでの距離は約 10km だった。つまり,平均 6%,距離 10km のヒルクライムを,スタートからいきなりやらされることになる。ギヤは直ぐにミドルのローから2〜3枚目に固定。時速 10km 前後,多くの場合は8〜9km/h で淡々と登る。地図上ではおおよそ 10km 程と見積もられたので,サイクルコンピュータの走行距離を眺めつつ残りの距離を考えつつ走る。標高が上がるに従って,次第に雲が切れて陽が差してくる。標高が 1000m 前後のところなので,もう少し紅葉が進んでいるかと期待していたが,まだ盛りは1〜2週間先のようだ。今年は全般的に遅いのかな?

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登る途中の色付き具合

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小繋峠のトンネル。標高 1344m。内部の照明はないが,短いのでライトはなくても通過可能

 スタートからほぼ1時間掛かって峠着。平均時速は 10km/h ということになる。遅いけど,まあ,先も長いし,マシンは重いし,ザックを背負っているし,..(苦笑)。それにしても,久しぶりに乗るマウンテンバイクのペダリングは違和感だらけ。いつものロードマシンよりもクランク長が 1cm も長い。1cm 違うと流石に上死点付近がギクシャクした感じになる。ポジションが微妙に違うせいか,腰も少々痛い。ロードもマウンテンも同じポジションになるようにはセッティングしているはずなんだが。

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「小繋=こつなぎ」でいいのだろうか? 1300m 以上ってのが信じられない

 ツーリングマップルによれば,「峠周辺の紅葉は見事」とあるが,残念ながら時期が早かったようで,ようやく色付き始めたばかりの様子。

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トンネルを抜けて,桧枝岐村側からの景色

 トンネルを抜けた辺りもいわゆる広葉樹林で,紅葉の盛りにはさぞかし見事だろうなと思いつつ降る。桧枝岐側の方が勾配の急な箇所が多い。10% 前後の箇所が何箇所かあった。この辺りは,ブナ枯れの被害といったものはほとんどないようだ。それにしても,南会津地方で目にする山中の川とか沢の水の清冽さにはいつも驚かされる。どこにでもイワナとかヤマメが泳いでいそうだ。渓流釣り好きの方で南会津の沢に通い詰める人が多いというのも頷ける。7km 強ほど降ると R352 との合流点(T字路)に出る。帰りには,これを登り返すのかと思うと少々萎える。合流地点は,右側にはスノーシェッド,左側には釣り堀があるところ。標識には「林道飯豊・桧枝岐線」とある。この辺りの標高は 900m ほど。

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R352 との合流点にある道標

 左折して,しばらく R352 を走ると間もなく桧枝岐の集落に入る。何回来てもいいところだ。自分の住んでるところに比べて,至極ゆったりと時間が流れているような錯覚すら覚える。スキー場のところでは,集落のお年寄りたちがパークゴルフ(?)に興じていた。健康で,死ぬまで達者で暮らして下さい(笑)。桧枝岐に来るのは,この間のブルベ以来2週間振りだ。しばらくのんびりと周囲を眺めながら進み,有名な蕎麦屋の「開山」を過ぎたところで左折。側で畑仕事をしていた地元のおじさんに道を確認。「今日は天気がいいから景色は最高だろう!」と北関東訛りのようなイントネーション(あまり詳しくないけど)で話す。

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左折ポイント

 いよいよ,R352 と別れて林道川俣桧枝岐線に入る。橋を渡った辺りの舟岐(ふなまた)という集落(なのかな?)を過ぎて,ちょっと先に進むと,道端の看板が目に付いた。

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 あれれ? では,どんなに早く来ても結局変更ミッションしかこなせなかったのか。この結果オーライの状況に,ほんの少しだけ残っていた,寝坊したことによる本日の走行コースの変更に対するわだかまりが消える。現金なものだ。が,実際には登る途中でかなりの台数のオフロードバイクとすれ違っており,どうも二輪車程度なら栃木側に通り抜けることが出来たようだ。まあ,こればかりは行って見ないとはっきりしない。

 川を右手に見ながら,看板から先に進む。少し先に道端から水が出ていたので,空になったボトルに詰めた。

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川の水の清冽さはため息が出るばかり。石の上にサルがいた。

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 途中にキャンプ場があり,何組かキャンプをしていた。その辺りまで舗装で,一旦砂利道になり,もう一度出来立ての舗装路が現れる。新しい舗装路は数百メートルで終わり,その舗装が切れてから本格的なオフロードの道になる。勾配はきつくはないものの,だらだらと登り続ける。11時を回る辺りで,そろそろどこか適当な気分のいい場所でのんびりと補給しようかなと思いつつ登る。

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 ほぼ中間地点(分岐から6キロほどの距離か?)の川に掛かる欄干のない橋のところで補給休憩。こんなところで食べればなんでも美味い! それにしても,ここまでに見た砂防ダムの数と来たら,..。本当に必要なのかと首を傾げざるを得ない。

 この先から林道は川から離れて,登りは本格的になる。途中,何台ものオフロードバイクが降りてきた。これだけの台数のオフロードバイクが桧枝岐から馬坂峠までのピストン走行というのも考え辛いので,多分,二輪車程度は通り抜け可能なんだろう。追い越して登って行く車も,上から降りてくる車も山の高さと深さからすれば多すぎるくらいだった。後で知るが,馬坂峠まで車で登れば,ハイキング気分で 2000m 級の登山を楽しむことが出来るために,かなりの数のハイカーが車で登っている林道だったようだ。

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あまりお目に掛かったことのない標識。具体的に,どう注意すればいいのかしばし考える。

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自然針葉樹林?

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こんな道がどこまでも続く。気持がいい。

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 登り始めて 10km を過ぎたころから次第に辛くなってきた。肉体的な辛さもあるが,むしろ精神的に辛い。平たく言えば,登るのに飽きてきた。残り 5km くらいが実に長く感じられた。それでも,高度が上がり,周囲から樹高の高い林が消えると,次第に雑木の紅葉が目に入るようになり,ほんの少しだけ辛い気分を慰めてくれた。最盛期にはまだ早かったようだが,黄色に色付き始めた山々にスポット的に真っ赤な赤の入った箇所が多く見られ,これはこれでなかなかいい風情だった。

 道は良く整備されているものの,砕石が浮いている箇所も多く,トルクは控え目に登らせられる。雨水を逃がすために道路を横断して埋められている厚手のゴムシートが路面上に飛び出している箇所が随所にあり,これを越えるのが次第にストレスになってくる。多分,百枚以上越えたように思う(そんなにあったかなぁ)。

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どうも,このポイント的に入っている赤ってのはちゃちなデジカメでは表現不可能らしい。実際にはかなり奇麗。

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 そして,桧枝岐から分岐して2時間程でようやく馬坂峠に到着。約 15km ほどの道のり。峠は駐車場になり,周囲の山々の登山を目的にした車が多数駐車している。簡易トイレまで設置してあることに驚く。

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 栃木側はどうなっているんだろうと,少し先から眺めてみたが,樹木に覆われた谷の,遥か遠くに集落らしきものを確認できた程度で,眺望はあまり良くはない。あの集落が川俣の辺りだろうか? 脇で写真を撮っていたおじさんに,「自転車で登ってきたの?」と驚かれる。そうこうしているうちに,川俣側からオフロードバイクが登ってきたし,一台のバイクが降りていった。やはり,二輪車くらいだと通れるらしい。

峠から栃木側を眺める

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車で来て手軽に周囲の山々に登れるようだ

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入山者数を調査するための光学式カウンターが設置してある帝釈山登り口

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峠の標高は 1790m で麓の桧枝岐分岐からは標高差 840m か

 案内板によれば,馬坂峠(標高 1790m)から帝釈山山頂(標高 2060m)まで,距離 0.9km ほどらしい。でも,所要時間は1時間とある。平均勾配が 30% ほどだから,それくらいになるかも知れない。さて,ここで既に午後1時に近い(12時45分)。ざっと,頭の中でスケジュールを組み立ててみる。2時半までに頂上往復,3時半までに桧枝岐から木賊温泉への R352 の分岐まで,小繋峠までの登りが1時間弱として木賊温泉までの 10km は平均時速 40km 以上なので,余裕を見ても5時前には車まで戻れるはずだ。前にも書いたけど,実は今日はライトを忘れてきて,手持ちは小さな LED のミニライトしかない。暗くなる前になんとしても車に辿り着く必要がある。

 そんなことを考えながら看板を眺めていると先ほどのおじさんが登り始めるようだ。「上までどの程度掛かりますか?」と訊ねると,「まあ,40分あれば楽勝だと思うよ」と。だったら,なんとか上のスケジュール通りに行けそうだ。ということで,マウンテンバイクをデポして早速登り始める。今日はシューズはゴアテックスのツーリング用を履いているので,山登りもなんとかなる。SPD シューズなんか履いていたら,大分苦戦しただろう。

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こんな木組みの階段があるところはましな方で,多くは木の根やら岩などのステップを辿る

 なにしろ,勾配が凄い。大きな段差が沢山あり,石やら木の根などで巧くステップを刻まないと大変だ。常にスクワットを繰り返しているような気分になってくる。さらに,昨日の雨のせいか,ドロドロの箇所が何箇所かあるし,所々に木道があり,シューズに付いた泥で滑りやすくなっていて,神経を使う。そして,やはり使う筋肉が違うせいなのか,えらく苦しい。まさか,2000m 程度で空気が薄いから呼吸が苦しくなるなんてことはないだろうと思っているのだが。

 結局,途中でさっきのおじさんを抜いて,おじさんの「そのペースなら30分切って登れるよ」との言葉に意を強くして,さらにどんどん登る。顎から汗がボタボタと滴り落ちる。3回ほど脚を止めて,ゼーゼーする呼吸を調えつつ,降ってきた登山者に道を譲りつつ,あとどの程度か訊ねると,「この上の階段を越えれば直ぐに頂上だよ」とのこと。「自転車で来たの?スゴイですね」とまで言われる。この格好だけで,自転車とわかるとは,何かやってますね(笑)。

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 で,結局,約25分で三角点に到着。これでミッションの片道は終了である。生まれて初めて自力で 2000m を越える場所に立った。これはなかなか感慨深いものがある。頂上のスペースには関東方面からのおじさんおばさんが多数いて,かなり混雑していた。360度のパノラマを堪能しつつ,彼らの話を聞くともなしに訊いていたが,なんでも透明度が良ければ富士山まで見えるとのこと。

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これが頂上の道標。時間があれば田代山湿原まで足を伸ばしたいけど,..。

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西の方角には燧ケ岳

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南西には八ケ岳の辺りが見えるらしいが,..。アルプスってのは中央一番奥のピコッと立っている山の辺りだろうか?

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北の方角を見れば,木賊温泉の集落が見える(と思うけど)

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南の山々。名前はよくわからない。

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会津駒ヶ岳(らしい)

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頂上はこんな感じで大混雑(笑)

 10〜15分くらい滞在して下山を始めた。降りの方が膝とか太股に負荷が掛っているような感じ。最後には脚がガクガクしていた。再び馬坂峠に付いたのは午後2時だった。スケジュールよりも早い。

 直ぐにダウンヒルを開始する。見つけておいた峠近くの湧き水で咽を潤し,ボトルにも詰める。リム打ちパンクなどしないようにある程度抑えて降る。流石に,この距離だと,途中でペダルの上に立っていること自体が辛くなる。

 桧枝岐の集落をぶっ飛ばし,結局,小繋峠までの登り返しに入ったのは午後2時45分頃だった。ここからセッセと登る。午前中に感じたペダリングの違和感は消えており,朝よりも大分楽に登れているようだ。本日3本目のヒルクライムを「忍」の一字で登り切り,小繋峠のトンネル到着。3時30分頃だったか。ここから木賊温泉までの 10km のダウンヒル。所々で時速 60km ほど出る。一度,前方をサルが横切った。先だってのブルベで狸を轢いたことを思い出す。

 車のデポ地点に着いたのは,午後3時45分だった。ミッションコンプリート。ロードで 200km を走るよりも,その達成感は遥かに高い。

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 急いで後始末して,道路を挟んだ向い側にある「広瀬の湯」へ。人気としてはもう一箇所の岩風呂の方が高いらしいけど移動するのが面倒。それに,今回は縮小版のツーリングだったので,「岩風呂」の方は,正式版ツーリングの後に残しておきたい。

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おばあちゃんが番をしていた。入浴料は 300 円と安い。

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一人だけ先客がいた。広い湯舟で伸び伸びと手足を伸ばせた。至福の時。お湯は熱からずぬるからずでちょうどよい温度。こういう生活だけしてればストレスなんてどこの世界の言葉ってな感じなんだろうな。ユルユルと出たり入ったりしながら,すっかり満足して帰途に就いたのは午後4時半過ぎ。自宅着は8時少し前だった。帰宅後は2食分ほど補給した(笑)。

2013年3月11日 (月曜日)

【過去記録】あの日の日記

 あれから2年。いろいろと忘れたいこと,忘れてはいけないことなどがある。あの当時の日記を記録としてこちらに掲載しておこう。

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3月11日(金)晴れのち曇,東北地方太平洋沖地震(東日本大震災 M9.0),ローラー,今日 27km,今月 628km,今年 4131km

 起床は6時。朝の体重は 70.2kg と「元の木阿弥プロジェクト」を最小限の被害で食い止めた。

 10時40分のつばさで上京。つばさ車中では,外の良い天気を眺めながら,18日の講演資料の構想などを練る。明後日のブルベもいい天気なので楽しめるなぁなどと考えつつ,..。

 丸ノ内線で茗荷谷へ。午後2時から茗荷谷の茗渓会館で会議。議題が進んでしばらくした頃の午後2時47分に,それは起きた。最初,小さな揺れ。「あ,地震だ!」と会議参加者が誰ともなく口にした。皆が会議を中断して地震の様子を確かめる。と,いきなり大きく揺れだした。誰かが言った。「こりゃ,外に出た方がいいんじゃない?」。次の瞬間,鉄筋コンクリートが「ギシッ,ギシッ」ときしむ音から「バキッ,バキッ」と折れるかの如き音に変わった。心底恐怖を覚えた。階段を駆け降りながらバランスが崩れそうになる。取り合えず,会議に参加していた全員が荷物を持って建物の外に出て,建物から距離を取る。外に出ると,車はすべて道路上で停車。向いの小学校では全校生徒が校舎から避難して,校庭で先生の指示に従って整列している。電柱と電線はユサユサと大きく揺れる。やたらに長い時間,揺れが続いた。

 てっきり,関東が震源の震災だと思った。関東大震災の現場に居合わせたのか? と,携帯でニュースをチェックしていた一人が「震源は東北らしいですよ」と。「え?東北が震源で,東京がこれだけ揺れるってことは,..」。それからは会議どころではなくなった。東北大から来た知り合いの先生が,仙台方面への連絡を試みるも,携帯電話,固定電話共に繋がらないようだ。会議も重要なことだけをサッサと決めて,あっという間に終った。余震で屋外退避を繰り返すこと数回。

 そのうち段々といろいろな情報が入ってきた,まず,都内の地下鉄,私鉄,JR 全てが運転見合わせ。東北,東海道新幹線などの新幹線も同様。結局,その日は全ての鉄道が動かず,会議参加者は学会本部でほとんど寝ずに夜明かしをすることになった。窓の下を見れば深夜になっても続く渋滞の列。夜通し,テレビのニュースを観続けた訳だが,緊急地震速報の度に,かなりの揺れが来るので段々と気持ちが悪くなってくる。終始ユラユラと揺れているようなイヤな感覚。そして,東北地方の物凄い惨状も映像で届き始めた。津波だ。車が流れる,家が流れる,町の中を船が流れていく,..。街があっという間に濁流に呑み込まれていく。そして,津波被害の地域として,実家の近くの馴染の場所がテレビから流れた。閖上が,相馬が,亘理が,...壊滅だ。

 宮城の実家にも連絡が取れない。でも,最初の地震の直後に女房から「実家の両親の無事を確認」というメールが来たので大丈夫だろう。それ以降は,女房とも,仙台にいる妹夫婦の所とも全く連絡が付かない。東北大の先生も,大学にも自宅にも全く連絡が付かないので,えらく心配していた。

 結局,テレビの情報を眺めつつ,余震に脅えながら,まんじりともせずに一夜を明かした。

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3月12日(土)晴れ,北帰行1日目(そんな言葉があるのか?)

 明るくなるに連れて,テレビに映し出されるニュース映像は悲惨さを増す。つい先日,自転車で行ったばかりの相馬の新地辺りも壊滅らしい。悲しいという単純な感情ではなく,自然のエネルギーの前の無力さというか,何ともいえない無常観のようなものを感じる。

 さて,感傷に浸っているときではない。このままジッとしていても,埒が明かない。選択肢は二つ。このまま東京で経過観察して,公共交通機関がある程度復旧してから北に向うか,出来得る限りの手段を講じて,今から北に向うか,である。

 ただ,ジッと待っているだけよりも精神衛生上は良いと思われるので,テレビから流れる JR 運転再開の情報を鵜呑みにして,東北大の先生と供に直ぐに北に向うことにした。新幹線はダメなので在来線を乗り継ぐ積りだった。が,池袋まで来てみれば,駅員が運転再開の見込みは全く立ってないとのコメントを繰り返すのみ。傍らのテレビでは,JR 運転再開の報道。まあ,世の中,こんなもんだろう。さて,一旦切符を見せて外に出よう。え?こんなに並んでいるの?仕方がないので列の一番最後に並ぶ。

 と,そこへ,..「おい,そこのおばちゃん,なんで列に横から入ってるんだよ」。おばちゃん,オレらの後ろに,.。「って,違うよ,オレらの後ろに行けってことじゃね〜よ,列の終わりはもっとずっと向こうだよ」。聞えない振りをして視線を泳がすおばちゃん。「おい,ばばぁ,シカトかよ。そういう態度は人間としてどうなんだよ!!」。クズだった。

 改札を逆流して,一旦駅の外に出て,二人で相談して,レンタカーはどうだろうか?という話になる。池袋の近くのレンタカーの会社を当たるが,誰もが同様のことを考えているらしく,予約が一杯で一台も残っていないと。いろいろと考えて,都心から外れればレンタカーも借りられるのではないかと,運転再開している東武線で川越を目指す。それにしても,ほぼ同じ路線を走っている JR は「安全確認を行っている」とのアナウンスを繰り返すばかり。少しは私鉄を見習って欲しい。

 川越に着いて,駅の近くのレンタカー会社を訪ねるが,「ここに車を戻してくれるなら貸すけど,乗り捨てではダメ」とのこと。地震で壊滅的な被害を受けている土地にわざわざ向わせて,車が回収不能になるかも知れない事態になっては困ると。なるほど,そりゃ,もっともだ。レンタカーは諦めて,路線バスで大宮を目指す。結局,路線バスを2本乗り継いで大宮に着く。バスの中から,バスの前を走るローディーを眺めて,「ああ,あんな自転車があれば福島までは楽勝なんだけどなぁ」などと考える。

 さて,大宮から今度は宇都宮を目指す。が,どう調べてもバスはない。JR も運転していない。仕方なく,駅前の JTB のオネイサンに,「ここから宇都宮まで行くにはどうしたらいいの?バスとかはないの?」と訊ねれば,親切にいろいろと調べてくれて(惚れてまうやろぉ〜〜!),東武線を使えばいいということに。調べてもらった路線を頼りに,東武野田線で大宮から春日部まで,東武日光線で春日部から新栃木まで,東武宇都宮線で新栃木から東武宇都宮まで移動。途中,東武宇都宮線が動いていないんじゃないか?とのツイッター情報がもたらされたが,幸運にも動いていて助かった。それにしても,知り合いからツイッターで様々な情報提供やら支援の手が差し伸べられたのは,有り難い限りだった。

 東武宇都宮駅から JR 宇都宮駅までは徒歩移動。かなりの距離があった。JR 宇都宮駅を見た時には小さなガッツポーズ。小さいけれど不思議な達成感を感じた一瞬だった。既に午後4時過ぎだ。

 さて,ここからどうするかを考える。バスを調べる(詳しく調べられなかったが)と路線バスではとても繋ぐことは不可能であるらしいことがわかった。そこで,ここでもレンタカー会社に訊く。そうすると,黒磯で乗り捨てるなら貸しても良いとのこと。県境を越えてはいけないということらしい。なので,そこからはまた考えることにして,取り合えず,黒磯まではレンタカー移動を決めて,そこから先は行き当たりバッタリで。明日の朝手続きに来ることにして,一旦ホテルにチェックイン。

 もうジタバタしても仕方ないので,晩飯代わりに,近場で餃子と生中をやっつける。その後,靴下らやパンツやら,明日の朝飯を求めて近くのコンビニに行ってみるが,食料はほぼゼロの状態。2軒廻って,かろうじてカップ麺と酒少々,靴下,シャツ,パンツなどを入手。

 部屋に戻って,部屋の電話から女房に掛ければ繋がった。固定電話からだと繋がるようだ。いろいろ相談したら,なんと女房が宇都宮まで来てくれると言う(驚)。危ないからいいよと言ったけど,大丈夫と言うので,じゃ,お願いすることにして,決して無理しないでくれと伝える。その後は軽く呑んで寝てしまう。

 宇都宮で考えていた最後の手段:ママチャリと簡単なウェアを購入して,R4 をなんちゃってブルベで福島まで。一人なら間違いなく決行しただろうけど,東北大の知人に同じことをさせる訳にも行かず,..。何度か提案してみたけど,お前のようにはいかないと(苦笑)。

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3月13日(日)晴れ,北帰行2日目

 起床は4時。メールをチェックすると7時前には宇都宮に到着しそうだとの女房のメールが。ここからの運転があるのでもう少し寝ておくかと思ったけど,寝付けないので朝飯とシャワー。そのままテレビでニュースを眺めていて時間を潰す。

 6時半頃にチェックアウトして,しばらくして,フロントの外を見れば,路上駐車した見慣れた車が,.。7時前にホテル前に女房到着。まさに,地獄に仏とはこのことか!女神様に見えるぜ!!(笑)

 7時頃に東北大の先生を乗せて3人で出発。飲み物とか食い物も積んであって,至れり尽くせりだけど,食ったら眠くなりそうなのでコーヒーだけもらう。市内を走って,R4 へ。R4 を北上開始。ガソリンが入手困難とのことで,給油可能なスタンドがあれば必ず寄るようにとの女房の指示。まず,一軒目,10分ほど並んで2000円分だけ給油。その後,反対車線に営業中のスタンドを見つけて,逆走して入店。レギュラーは売り切れとのことでハイオクを満タンにする。これで,無給油でも仙台から米沢へのルートは心配なし。

 福島に入った辺りで渋滞回避のために側道に迂回。そしたらその道の両側がひどいことになっていた。倒壊家屋,壁の崩落,屋根瓦の破損,塀の倒壊,舗装路の亀裂,液状化などなど。一見家屋に被害のないように見えても,屋根の瓦などは圧縮されてはじけ飛んだような感じになっているところが多かった。ブルーシートを被せた屋根の家が多数目に付いた。マンホールが道路上に数十センチも飛びだした個所も多数。

 福島の医大近くの伏拝では土砂崩れのために R4 が通行止め。ここで1時間ほどの渋滞。二車線から一車線になるような渋滞の場合,図々しい奴が得をするようだ。

 福島市内に入って,ゼビオスポーツでトイレ借りようとしたら,水が出ないからと断りやがる。小便だけどって言ってもダメ。この非常時にテメェのことしか考えない店だなぁ。頭に来たから,二度と買い物すまいと誓う。「ガンバレ!オレの膀胱!!」とつぶやきつつ,女房の実家に寄って安否を確認。実家近くの交差点では道路が陥没した箇所に車が嵌り込んでいた。女房の実家の辺りは,電気は通ったが,水はまだとのこと。生活の方は大丈夫とのこと。トイレを借りてから,直ぐにスタート。R4 を再び北上。

 大河原辺りから信号が消えている。所々舗装も崩壊。仙台市内中心部はやばそうなので,長町辺りから富沢方面へ。午後3時過ぎに富沢辺りで,ここからなら歩いても帰られると言う東北大の先生を下ろして,妹夫婦の家を訪ねる。家も家族も無事を確認。付近には液状化に伴って泥が噴出したらしき跡が沢山あったし,舗装にヒビが入った箇所もあった。義弟はガソリンを入れに出ているとか。2千円分くらいしか入れてくれないらしい。ここまで来る間にもスタンド渋滞が多数。でも,進んで行けば,当のスタンドには「売り切れ終了」の看板のある場合が多い。福島の女房の実家から頂いた食材をお裾分け。

 それから R286 を秋保方面に向い,途中から名取方面へ。ゆりが丘に行って,義兄夫婦の無事を確認。ここでも,福島の女房の実家から頂いた食材をお裾分け。そのまま角田市の実家までひた走る。信号の消えている R4 への合流,特に右折は気を遣い,恐怖すら感じる。車が停まってくれないからだ。

 大河原の裏道を使って実家まで移動。途中では沢山の墓石の倒れている墓地があった。実家までの県道は舗装が僅かにダメージを受けた程度。午後5時少し前に実家に着いて,両親の無事を確認。実家は停電断水で大変そうだが,田舎なのでご近所の方々があれこれことお世話してくれるそうで有り難い限り。ただ,基地局が潰れているようで全ての携帯のキャリアは圏外で使えず,固定電話も不通。これじゃ,何かあっても連絡しようがない。持ってきた水を置いて,また,少ししたら来てみるということで帰途に就く。いざとなったら,自転車で来る積もり。

 七ケ宿辺りで,意識を失いそうに眠くなったので,最後の部分だけ女房に代わってもらって,7時頃に米沢着。長い出張になった。でも,無事に帰ることが出来て何よりだった。

 帰宅後,自室を見ると,ひどいことになっていた。棚の本やら CD やら DVD やらが落ちて,足の踏み場もなくなっていた。片付けに2時間。性も根も尽き果てて就寝。

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2013年2月 1日 (金曜日)

【過去記録】2011/1/31 の日記より

 2011年1月31日の日記から拾った「1月の総括」。我ながらビックリだ(笑)。

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 月走行距離:1721 km,内訳:ロード 0 km(0日),ローラー 1721 km(31日)

 1月にしてはそこそこの距離が踏めた。もっとも,全てがローラーではあるけど。実走は,この時季,いろいろな理由から難しいけど,今年は特に福島の中通りでもこま目に雪が降って,なかなか出ていけなかった。それにしても,ローラーの一日平均距離が55.5キロってのも,我ながらなんだかなぁと思う。時速 30km として,57時間ほど。一日平均1時間50分ほど。これは,朝晩二回のローラーのせい。

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 あの頃は若かった,今よりも(当たり前だ:笑)。この頃はローラー 100km 走を月に何度もやっている。約3時間のハツカネズミごっこ。我ながら,バカじゃないのかと,..。ただ,この頃はローラーの勾配負荷は2%で,現在の3%よりも低い。体感的にはあの頃よりもパワーは出ているような気がするのだけれど。ただ,ケイデンスは今よりも 10rpm ほども高いようだ。う〜ん,正確ではないかも知れないけれど,表示されるワット数は今の方が大きいような気がする。とまあ,バカ日記も継続すれば,こんな比較も出来るメリットはある。

 ちなみに,昨年はどうかと言えば,...

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 月走行距離:1061 km(2120円),内訳:ロード 44 km(1回),ローラー 1017 km(23回)

 スーパーレコード並の大寒波がこれでもかと襲来し,揚げ句に実家の親父は病に倒れ,入院・手術で,その付添,さらに,なんだかんだと本業も忙しく,ほとんど乗れなかった。走らないよりはマシと言う程度の走行距離。長年掛けて培ったパフォーマンスを何とか低下させない最低限度のエクササイズと言ったところ。が,そういうことも人生にはある。

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 既に劣化は進行中のようだ(苦笑)。ロードの一回は,初日の出ランだろう。金額は,震災復興への寄付金。走行距離に応じて金額溜めて,三陸の牡蛎養殖とかに寄付した。今は,復興予算に給料の7%を削られたので,止めてしまったが(苦笑)。