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2013年3月11日 (月曜日)

【過去記録】あの日の日記

 あれから2年。いろいろと忘れたいこと,忘れてはいけないことなどがある。あの当時の日記を記録としてこちらに掲載しておこう。

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3月11日(金)晴れのち曇,東北地方太平洋沖地震(東日本大震災 M9.0),ローラー,今日 27km,今月 628km,今年 4131km

 起床は6時。朝の体重は 70.2kg と「元の木阿弥プロジェクト」を最小限の被害で食い止めた。

 10時40分のつばさで上京。つばさ車中では,外の良い天気を眺めながら,18日の講演資料の構想などを練る。明後日のブルベもいい天気なので楽しめるなぁなどと考えつつ,..。

 丸ノ内線で茗荷谷へ。午後2時から茗荷谷の茗渓会館で会議。議題が進んでしばらくした頃の午後2時47分に,それは起きた。最初,小さな揺れ。「あ,地震だ!」と会議参加者が誰ともなく口にした。皆が会議を中断して地震の様子を確かめる。と,いきなり大きく揺れだした。誰かが言った。「こりゃ,外に出た方がいいんじゃない?」。次の瞬間,鉄筋コンクリートが「ギシッ,ギシッ」ときしむ音から「バキッ,バキッ」と折れるかの如き音に変わった。心底恐怖を覚えた。階段を駆け降りながらバランスが崩れそうになる。取り合えず,会議に参加していた全員が荷物を持って建物の外に出て,建物から距離を取る。外に出ると,車はすべて道路上で停車。向いの小学校では全校生徒が校舎から避難して,校庭で先生の指示に従って整列している。電柱と電線はユサユサと大きく揺れる。やたらに長い時間,揺れが続いた。

 てっきり,関東が震源の震災だと思った。関東大震災の現場に居合わせたのか? と,携帯でニュースをチェックしていた一人が「震源は東北らしいですよ」と。「え?東北が震源で,東京がこれだけ揺れるってことは,..」。それからは会議どころではなくなった。東北大から来た知り合いの先生が,仙台方面への連絡を試みるも,携帯電話,固定電話共に繋がらないようだ。会議も重要なことだけをサッサと決めて,あっという間に終った。余震で屋外退避を繰り返すこと数回。

 そのうち段々といろいろな情報が入ってきた,まず,都内の地下鉄,私鉄,JR 全てが運転見合わせ。東北,東海道新幹線などの新幹線も同様。結局,その日は全ての鉄道が動かず,会議参加者は学会本部でほとんど寝ずに夜明かしをすることになった。窓の下を見れば深夜になっても続く渋滞の列。夜通し,テレビのニュースを観続けた訳だが,緊急地震速報の度に,かなりの揺れが来るので段々と気持ちが悪くなってくる。終始ユラユラと揺れているようなイヤな感覚。そして,東北地方の物凄い惨状も映像で届き始めた。津波だ。車が流れる,家が流れる,町の中を船が流れていく,..。街があっという間に濁流に呑み込まれていく。そして,津波被害の地域として,実家の近くの馴染の場所がテレビから流れた。閖上が,相馬が,亘理が,...壊滅だ。

 宮城の実家にも連絡が取れない。でも,最初の地震の直後に女房から「実家の両親の無事を確認」というメールが来たので大丈夫だろう。それ以降は,女房とも,仙台にいる妹夫婦の所とも全く連絡が付かない。東北大の先生も,大学にも自宅にも全く連絡が付かないので,えらく心配していた。

 結局,テレビの情報を眺めつつ,余震に脅えながら,まんじりともせずに一夜を明かした。

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3月12日(土)晴れ,北帰行1日目(そんな言葉があるのか?)

 明るくなるに連れて,テレビに映し出されるニュース映像は悲惨さを増す。つい先日,自転車で行ったばかりの相馬の新地辺りも壊滅らしい。悲しいという単純な感情ではなく,自然のエネルギーの前の無力さというか,何ともいえない無常観のようなものを感じる。

 さて,感傷に浸っているときではない。このままジッとしていても,埒が明かない。選択肢は二つ。このまま東京で経過観察して,公共交通機関がある程度復旧してから北に向うか,出来得る限りの手段を講じて,今から北に向うか,である。

 ただ,ジッと待っているだけよりも精神衛生上は良いと思われるので,テレビから流れる JR 運転再開の情報を鵜呑みにして,東北大の先生と供に直ぐに北に向うことにした。新幹線はダメなので在来線を乗り継ぐ積りだった。が,池袋まで来てみれば,駅員が運転再開の見込みは全く立ってないとのコメントを繰り返すのみ。傍らのテレビでは,JR 運転再開の報道。まあ,世の中,こんなもんだろう。さて,一旦切符を見せて外に出よう。え?こんなに並んでいるの?仕方がないので列の一番最後に並ぶ。

 と,そこへ,..「おい,そこのおばちゃん,なんで列に横から入ってるんだよ」。おばちゃん,オレらの後ろに,.。「って,違うよ,オレらの後ろに行けってことじゃね〜よ,列の終わりはもっとずっと向こうだよ」。聞えない振りをして視線を泳がすおばちゃん。「おい,ばばぁ,シカトかよ。そういう態度は人間としてどうなんだよ!!」。クズだった。

 改札を逆流して,一旦駅の外に出て,二人で相談して,レンタカーはどうだろうか?という話になる。池袋の近くのレンタカーの会社を当たるが,誰もが同様のことを考えているらしく,予約が一杯で一台も残っていないと。いろいろと考えて,都心から外れればレンタカーも借りられるのではないかと,運転再開している東武線で川越を目指す。それにしても,ほぼ同じ路線を走っている JR は「安全確認を行っている」とのアナウンスを繰り返すばかり。少しは私鉄を見習って欲しい。

 川越に着いて,駅の近くのレンタカー会社を訪ねるが,「ここに車を戻してくれるなら貸すけど,乗り捨てではダメ」とのこと。地震で壊滅的な被害を受けている土地にわざわざ向わせて,車が回収不能になるかも知れない事態になっては困ると。なるほど,そりゃ,もっともだ。レンタカーは諦めて,路線バスで大宮を目指す。結局,路線バスを2本乗り継いで大宮に着く。バスの中から,バスの前を走るローディーを眺めて,「ああ,あんな自転車があれば福島までは楽勝なんだけどなぁ」などと考える。

 さて,大宮から今度は宇都宮を目指す。が,どう調べてもバスはない。JR も運転していない。仕方なく,駅前の JTB のオネイサンに,「ここから宇都宮まで行くにはどうしたらいいの?バスとかはないの?」と訊ねれば,親切にいろいろと調べてくれて(惚れてまうやろぉ〜〜!),東武線を使えばいいということに。調べてもらった路線を頼りに,東武野田線で大宮から春日部まで,東武日光線で春日部から新栃木まで,東武宇都宮線で新栃木から東武宇都宮まで移動。途中,東武宇都宮線が動いていないんじゃないか?とのツイッター情報がもたらされたが,幸運にも動いていて助かった。それにしても,知り合いからツイッターで様々な情報提供やら支援の手が差し伸べられたのは,有り難い限りだった。

 東武宇都宮駅から JR 宇都宮駅までは徒歩移動。かなりの距離があった。JR 宇都宮駅を見た時には小さなガッツポーズ。小さいけれど不思議な達成感を感じた一瞬だった。既に午後4時過ぎだ。

 さて,ここからどうするかを考える。バスを調べる(詳しく調べられなかったが)と路線バスではとても繋ぐことは不可能であるらしいことがわかった。そこで,ここでもレンタカー会社に訊く。そうすると,黒磯で乗り捨てるなら貸しても良いとのこと。県境を越えてはいけないということらしい。なので,そこからはまた考えることにして,取り合えず,黒磯まではレンタカー移動を決めて,そこから先は行き当たりバッタリで。明日の朝手続きに来ることにして,一旦ホテルにチェックイン。

 もうジタバタしても仕方ないので,晩飯代わりに,近場で餃子と生中をやっつける。その後,靴下らやパンツやら,明日の朝飯を求めて近くのコンビニに行ってみるが,食料はほぼゼロの状態。2軒廻って,かろうじてカップ麺と酒少々,靴下,シャツ,パンツなどを入手。

 部屋に戻って,部屋の電話から女房に掛ければ繋がった。固定電話からだと繋がるようだ。いろいろ相談したら,なんと女房が宇都宮まで来てくれると言う(驚)。危ないからいいよと言ったけど,大丈夫と言うので,じゃ,お願いすることにして,決して無理しないでくれと伝える。その後は軽く呑んで寝てしまう。

 宇都宮で考えていた最後の手段:ママチャリと簡単なウェアを購入して,R4 をなんちゃってブルベで福島まで。一人なら間違いなく決行しただろうけど,東北大の知人に同じことをさせる訳にも行かず,..。何度か提案してみたけど,お前のようにはいかないと(苦笑)。

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3月13日(日)晴れ,北帰行2日目

 起床は4時。メールをチェックすると7時前には宇都宮に到着しそうだとの女房のメールが。ここからの運転があるのでもう少し寝ておくかと思ったけど,寝付けないので朝飯とシャワー。そのままテレビでニュースを眺めていて時間を潰す。

 6時半頃にチェックアウトして,しばらくして,フロントの外を見れば,路上駐車した見慣れた車が,.。7時前にホテル前に女房到着。まさに,地獄に仏とはこのことか!女神様に見えるぜ!!(笑)

 7時頃に東北大の先生を乗せて3人で出発。飲み物とか食い物も積んであって,至れり尽くせりだけど,食ったら眠くなりそうなのでコーヒーだけもらう。市内を走って,R4 へ。R4 を北上開始。ガソリンが入手困難とのことで,給油可能なスタンドがあれば必ず寄るようにとの女房の指示。まず,一軒目,10分ほど並んで2000円分だけ給油。その後,反対車線に営業中のスタンドを見つけて,逆走して入店。レギュラーは売り切れとのことでハイオクを満タンにする。これで,無給油でも仙台から米沢へのルートは心配なし。

 福島に入った辺りで渋滞回避のために側道に迂回。そしたらその道の両側がひどいことになっていた。倒壊家屋,壁の崩落,屋根瓦の破損,塀の倒壊,舗装路の亀裂,液状化などなど。一見家屋に被害のないように見えても,屋根の瓦などは圧縮されてはじけ飛んだような感じになっているところが多かった。ブルーシートを被せた屋根の家が多数目に付いた。マンホールが道路上に数十センチも飛びだした個所も多数。

 福島の医大近くの伏拝では土砂崩れのために R4 が通行止め。ここで1時間ほどの渋滞。二車線から一車線になるような渋滞の場合,図々しい奴が得をするようだ。

 福島市内に入って,ゼビオスポーツでトイレ借りようとしたら,水が出ないからと断りやがる。小便だけどって言ってもダメ。この非常時にテメェのことしか考えない店だなぁ。頭に来たから,二度と買い物すまいと誓う。「ガンバレ!オレの膀胱!!」とつぶやきつつ,女房の実家に寄って安否を確認。実家近くの交差点では道路が陥没した箇所に車が嵌り込んでいた。女房の実家の辺りは,電気は通ったが,水はまだとのこと。生活の方は大丈夫とのこと。トイレを借りてから,直ぐにスタート。R4 を再び北上。

 大河原辺りから信号が消えている。所々舗装も崩壊。仙台市内中心部はやばそうなので,長町辺りから富沢方面へ。午後3時過ぎに富沢辺りで,ここからなら歩いても帰られると言う東北大の先生を下ろして,妹夫婦の家を訪ねる。家も家族も無事を確認。付近には液状化に伴って泥が噴出したらしき跡が沢山あったし,舗装にヒビが入った箇所もあった。義弟はガソリンを入れに出ているとか。2千円分くらいしか入れてくれないらしい。ここまで来る間にもスタンド渋滞が多数。でも,進んで行けば,当のスタンドには「売り切れ終了」の看板のある場合が多い。福島の女房の実家から頂いた食材をお裾分け。

 それから R286 を秋保方面に向い,途中から名取方面へ。ゆりが丘に行って,義兄夫婦の無事を確認。ここでも,福島の女房の実家から頂いた食材をお裾分け。そのまま角田市の実家までひた走る。信号の消えている R4 への合流,特に右折は気を遣い,恐怖すら感じる。車が停まってくれないからだ。

 大河原の裏道を使って実家まで移動。途中では沢山の墓石の倒れている墓地があった。実家までの県道は舗装が僅かにダメージを受けた程度。午後5時少し前に実家に着いて,両親の無事を確認。実家は停電断水で大変そうだが,田舎なのでご近所の方々があれこれことお世話してくれるそうで有り難い限り。ただ,基地局が潰れているようで全ての携帯のキャリアは圏外で使えず,固定電話も不通。これじゃ,何かあっても連絡しようがない。持ってきた水を置いて,また,少ししたら来てみるということで帰途に就く。いざとなったら,自転車で来る積もり。

 七ケ宿辺りで,意識を失いそうに眠くなったので,最後の部分だけ女房に代わってもらって,7時頃に米沢着。長い出張になった。でも,無事に帰ることが出来て何よりだった。

 帰宅後,自室を見ると,ひどいことになっていた。棚の本やら CD やら DVD やらが落ちて,足の踏み場もなくなっていた。片付けに2時間。性も根も尽き果てて就寝。

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