旧渡邊邸なるものを見学してみた
水族館の帰り道に関川村の旧渡邊邸に立ち寄ることにした。以前から,何やらあるのはわかっていたが,なかなか寄ってみる機会に恵まれなかった。今日を逃すと,またいつになるかわからないので,あまり興味のなさそうな我が家の女性陣を口説いて立ち寄った次第。
現在,平成の大改修とやらで,あと2年ほども掛かるとか。で,床とかは全てはがされて,座敷とかはないのだが,それでもいいかというので,そんな状態は逆に見ようと思ってもなかなか見られないので,案内してもらうことにした。
改修のために幕が張り巡らされている旧渡邊邸
なんでも,初代は村上藩の郡奉行を務めた人物で,国替えに伴って隠居を申し出て,関川村に住み着いたのだとか。
屋根が面白い。薄い杉の板を重ねていって,そこに三画断面の角材を釘で止め,そこに石を載せる。石の総重量は120トンだとか。雪下ろしも大変だろうし,瓦も既にあっただろうに,何故このような不思議な屋根構造にしたものか,..。想像するに,こうした屋根構造を採ることで,2年に一度くらいの割合で,屋根の補修作業が必要で,その度に職人の雇用が生じるためではと。つまり,大金持ちの渡邊家は,地元に定期的に金をばらまくために,面倒で手のかかる屋根の構造を採用したということとか。
松の木の巨大な梁。今では,こんな材木は手に入らないんじゃないのか?
二代目からは,海運業を営んだり,酒を造ったり,金貸ししたりと一大財産を作ったらしい。米沢藩とも付き合いが深く,10万両ほども貸していたとか。そして,飢饉の時には米蔵を地元住民に開放したらしい。なかなか,もののわかった庄屋様で地元の民には慕われたらしい。
蔵も十以上あったらしい。これは金蔵らしく,入口から中へは4枚の扉の鍵を外さなければならないとか。
あと2年したら,また来よう。
関川村の祭りだとか。行ってみるかな。
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